豆腐屋の若社長に教わった身土不二——醤油の選び方と、発酵の話

しょうゆ

食に関する取材で九州を回っていたことがある。そのとき熊本の老舗豆腐メーカーにも足を運んだ。話を聞き終えて辞去しようとしたら、若社長が車でホテルまで送ろうと申し出てくれた。その道すがら、若社長はぼそりと言った。

「葉山さん、身土不二しんどふじという言葉を知ってますか」

知らなかった。「どんな字を書くんですか?」

仏教に由来する言葉で、「人間の体と土地は切り離すことができない」という意味だと若社長は教えてくれた。それを聞いたとき、僕は「地産地消」を思い出した。

半世紀ほど前、農水省が「地産地消」という言葉を作った。当時の農村の食事は、米と味噌汁と漬け物を中心とした伝統的な一汁一菜で、塩分過多や高血圧が問題視されていた。そこで西洋野菜を作って消費し、食生活を改善しようという政策が生まれた。減反で空いた田んぼを畑に転用し、農家の収入を増やす狙いもあった。

一方、身土不二はもともと仏教用語だ。それが大正時代、「地元の旬の食べ物や伝統食が体に良い」という、食養のスローガンとして再定義された。一見似ているが、地産地消は伝統食を否定し、身土不二は肯定している。いまではほとんど同じ意味合いで使われているが、もともと両者は似て非なるものだった。

身土不二という言葉は、その後もしばらく頭のどこかに残っていた。

すると不思議なもので、台所に立つたびにいつも使っている調味料のことが気になり始めた。

手始めに醤油を手に取った。ラベルを読みながら調べてみると、その向こうには、僕らが思う以上に長い歴史と多様な選択肢が広がっていた。

醤油は発酵食品

醤油は大豆と小麦、塩を原料に、麹菌、酵母、乳酸菌の力を借りて発酵、熟成させて造る、伝統的な発酵食品だ。縄文時代にはすでにあったという説もあるが、本格的に造られるようになったのは大和朝廷時代。室町時代には現在の醤油の原型が完成している。

本来の製法では、最初に蒸した大豆と炒った小麦に種麹を加え、大きな木桶に塩水と一緒に仕込む。この諸味もろみを一年から二年かけてじっくりと熟成させる。この間、微生物が大豆のたんぱく質をアミノ酸に、小麦のでんぷんを糖に分解していく。あの深いうま味と香りは、こうした長い時間の積み重ねから生まれている。

でもいまでは、多くの醤油が熟成時間を大幅に短縮して造られるようになっている。

製法|本醸造、混合醸造、混合

醤油には現在、三つの製法がある。

まずは我が家が愛用している本醸造。大豆、小麦、麹、塩だけで、約半年かけて発酵、熟成させるものだ。昔ながらの製法にもっとも近く、時間はかかるが自然なうま味とコクが出る。

混合醸造は、本醸造の諸味に、アミノ酸液などを加えて、一か月以上寝かせて造る。うま味を人工的に補う方法だ。

最後に混合だが、本醸造で造った醤油にあとからアミノ酸液を足したものである。

低価格の醤油の多くは混合醸造だ。うま味は強いが、発酵期間が短い。発酵食品と呼ぶのは少々気が引ける。

種類|濃口、薄口、溜、再仕込、白

製法と別に、日本農林規格(JAS)によって、醤油は五つに分けられている。

いちばんポピュラーなのは、濃口醤油だ。国内出荷量の八割以上を占める。

ついで関西生まれの薄口醤油。全体の一割ほどで、僕のような関西人にはなじみが深い。濃口より塩分は多いが、色は淡く、素材の色を活かしたい料理に向いている。

たまりは、中部地方の醤油で、色も味も濃い。照り焼きや佃煮、せんべいに使われ、寿司や刺身にもよく合う。我が家の土曜の夜(刺身の日)に出番がある。とろみがあるので刺身によくからむ。

再仕込醤油は山口生まれ。仕込みの塩水の代わりに醤油を使うため、風味も色も濃厚だ。こちらも刺身に合う。

白醤油は愛知生まれ。関西の薄口よりさらに淡く、甘みが強い。吸い物や茶碗蒸しに使われることが多い。

身土不二

小さい頃から当たり前のように台所や食卓にあった調味料である。若社長に出会わなければ、この先も製法や種類について知ることはなかったかもしれない。調べてみるとなかなかに奥が深く、楽しい時間であった。

身土不二という言葉は、もう僕の体の一部だ。醤油は国産大豆と国産小麦を使い、生まれ育った土地の蔵が丹精込めて造ったものを選んでいる。僕の体は細胞レベルで関東の食べ物に置き換わっているとは思うのだけれど。

そういえば、豆腐屋の若社長が誇らしげにこんなことを言っていた。「うちの豆腐はうまいですよ。作り方もあるけど、いちばんは水のおかげ」。熊本は全国でも指折りの水どころである。こういう話を聞くと、食べ物と土地のつながりというものは、やはり切っても切れないものなのだと思う。

あの日、ホテルに到着し、用意されたステーキ御膳を食べていたら、頼んでいない料理が二皿出てきた。聞けば、若旦那からの差し入れという。粋な計らいである。

地方ではたまにこういうことがある。山陰の宿では一匹分の鯉こくと洗いが出てきたことがある。テーブルの上には牡丹鍋の他にもいろいろ並んでいる。宿の女将に「食べきれない」と訴えたら、「若いんだから大丈夫よ。せっかくの差し入れなんだし、ありがたくいただきなさい」と肩を叩かれ、頭を抱えた。食後五時間くらい身動きできなかった。

若社長の差し入れは、大きなおぼろ豆腐と洋風の豆腐サラダだったと思う。とびきりうまかった。胸を張るだけのことはあった。二時間、身動きできなかった。

その土地の水でできた豆腐を、その土地で食べる。それだけのことなのに、体がすっと熊本という土地になじむような気がした。身土不二とは案外、そんな素朴なことなのかもしれない。