子どもの頃に自然体験が豊富だった人ほど、大人になってから自己肯定感が高く、精神的な回復力が高く、人間関係の構築もうまい——。
国立青少年教育振興機構、つまり文部科学省が所管する組織が、膨大なデータをもとにそう結論づけている。
しかもこの自然体験、その後の学歴や教養、年収にまで相関しているというから、どこまで本気なのかと思う。
信州大学の研究もある。キャンプ体験は子どもの生きる力、つまり非依存性、積極性、明朗性、協調性を向上させるという。
さらにコールマンが行なった家族キャンプの意識調査では、経験者の約77%が「子どもの成長によい変化があった」と回答。國學院大學の研究者もこう述べている。
——自然には、まだ解明されていない不思議がたくさんある。人間の想像を超える、答えのない世界に触れたとき、「なぜ? どうして?」という思いが好奇心や探究心となり、子どもの資質や能力を育むきっかけになっていく。
まとめるとこうである。子どもをキャンプに連れて行くと、自己肯定感が上がる。社会性が育つ。好奇心が伸びる。将来の年収まで上がる、かもしれない。
なるほど。これは行くしかない。
というわけで、娘を連れて長野の廻り目平キャンプ場へ行くことにした。むろん教育的見地からである。
この記事に書いていること
父のたくらみ
ところで娘にはひとつ隠していることがあった。廻り目平は、金峰山の登山口でもある。奥秩父の盟主にして日本百名山のひとつ。標高は二五九九メートルだ。僕の狙いは、現地で娘に「せっかくだから登ってみよう」と寝技をかけることだった。
妻は最初から登らないと宣言していたからノーカウント。娘さえその気になれば計画は成功である。僕は自分と娘のザックだけひそかにパッキングし、キャンプ道具の陰に隠して車に積み込んだ。
出発の朝——。
まだ暗いうちに東京を出た。中央道を走り、長坂で高速を降り、八ヶ岳を左手に眺めながら川上村に入る。川上村は夏秋レタスの日本一の産地だ。レタス街道という名の通りにレタス御殿が軒を連ねている。巨大なトラックの荷台に腰かける外国人労働者たちの姿にどこか遠い国へ来たような錯覚を覚えた。
到着してすぐ見せた積極性
廻り目平に着いて、山荘の前に車を停めるやいなや、娘がダッシュした。入り口にソフトクリームの看板があったのだ。




信州大学の研究にキャンプ体験は積極性を向上させるとあった。確かに娘の積極性は向上していた。
小枝集めのミッション
テントは沢から少し離れた場所に張った。トイレと水場が近く、水音がわずかに聞こえる。周囲には大きくて立派なテントが並んでいたが、我が家のそれはちんまりとした山岳用テントである。
少し見劣りはするが、設営は圧倒的に速い。質実剛健である。登山用しか持っていないというのが本当のところではあるが。

設営は僕一人でやった。きゃっきゃっと歓声を上げて走り回っている娘には、あるミッションを下達していた。
——今夜の焚き火に使う小枝を収集せよ。なお湿気ったやつはダメである。
娘はこの任務に全力で取り組んだ。設営を終えて娘を見ると、妻と一緒に一心不乱に枝を拾い集めていた。誰に似たのか、根は生真面目なのだ。一時間ほどで小枝の山ができた。頭をなでてやる。


昼食からの川遊び
そうこうするうち、気がつけば午後三時を回っていた。
「おーい、お昼にしようか」僕はふたりに声をかけ、ハンバーガーと菓子パンの昼食をシートの上に広げた。
朝が早かったし、薪集めで疲れたのだろう。娘は呆けたような表情で遠くをぼんやり見つめながら、黙々と口を動かしている。コールマンの調査に「いつもは見られない表情を見ることができた」という親の声が載っていた。確かにこんな顔、家では見たことがない。

食後、腹ごなしに場内を散策することにした。
テントから一分も歩くと渓流に出る。千曲川の源流域だ。水量が豊かで、轟音が心地よく、水はそのまま飲めそうなほど澄んでいる。
娘が靴を脱いだ。六月だ。泳ぐには少し早い。それでも足くらいは浸けてみたくなるのが人情だ。
「わ、冷たい。でも気持ちいい」
岩に座って娘が満足するのを待つ。
「パパもやってごらん」
「やらんよ」


遊歩道のシャクナゲ
そのあと一周四十分の遊歩道へと向かった。
キャンプ場の四方を奇岩が取り囲み、足元ではシャクナゲの淡い桃色の花弁が山の緑に映えていた。僕は写真を撮り、妻と娘は歌を歌いながら立木のあいだをゆっくりと歩いた。


焚き火とバーベキュー
テントに戻ると五時過ぎだった。気温がだいぶ下がってきた。
いよいよ本日のメインイベント、焚き火とバーベキューの時間である。まずはそこいらに転がっている石を集めて火床を作る。丸い部分で焚き火をし、熾火ができたら手前の細長い部分へ移してバーベキューに使う、いわゆる「キーホール型」の火床である。
それを見て、娘は「鍵穴みたい」と言い、妻は「前方後円墳みたい」と言った。娘が正解である。

火を熾し、薪をくべる——。焚き火とは何度やってもいいものだ。
六月初めの山の空気はまだ肌寒かったが、焚き火は僕らの周囲を煌々と照らし、力強く温めてくれる。炎の揺らぎに心が安らぐのを感じる。太古の昔、人類の祖先は火を使いこなすことで生き延びてきた。その記憶が僕らのDNAのどこかに書き込まれているにちがいない。
娘たちもさぞやうっとり炎を見つめていることだろう。そう思って、ふたりを見たらトランプに興じていた。父が炎を眺めて感慨にふけるすぐ後ろで、ずっと下を向いて神経衰弱をしていたらしい。
「パパもやる?」
「やらんよ」

そうそう。忘れるところであった。僕は例の件を思い出した。
「そういえばここ、登山もできるみたいだよ。明日、登ろうか」
「え、そうなの? どうしようかなあ。あ、無理だ。リュック持ってきてないもん」娘がうれしそうに言う。
「ふふ。そんなこともあろうかとちゃんと用意してきたぞ」
「……登山靴も?」
「あ」
忘れていた。寝技師、痛恨のミスである。娘がほくそ笑んだ気がした。
気を取り直して、僕はステーキ肉や鶏もも肉、たっぷりの野菜、とうもろこしなどを焼き、デザートにマシュマロを炙った。

パチパチと炎が爆ぜる。耳を澄ますと、さあっという沢の音が小さく聞こえてくる。かなり冷え込んできた。娘も焚き火のそばにやってきて腰を下ろした。
黙って、じいっと炎を見つめている。

そのときなぜか僕の頭の中に俳句が浮かんだ。
——炎見て 何を思うか わが娘
祖母は俳句が趣味で、新聞に何度も作品が載る俳人だった。
——俳句詠む 能力 まるで吾になし
だが、その血は僕の代でほぼ蒸発したらしい。
娘が空を見上げながらつぶやいた。
「……お星さまいっぱい」
焚き火から空に視線を移すと、降るような星空が頭上いっぱいに広がっていた。手を伸ばせばつかめそうだった。それからまた視線をそっと隣に向ける。娘の目はひと際まぶしくきらきらと輝いていた。
朝食はいつもの一汁三菜
気がついたら寝袋の中で朝を迎えていた。
昨夜も寒かったが、今朝はもっと寒い。吐く息が白い。起き抜けに火を熾し、メスティンで玄米を炊いた。味噌汁を作り、ウインナーと鮭を焼いて納豆を添える。家と同じ一汁三菜の朝飯である。

三人ともあっという間に食べ終わり、火の始末をしてテントを撤収し、さっさと帰路についた。
検証の結果はいかに
さて、本題である。今回のキャンプで、娘に何が残ったのか。
ソフトクリームに突進した。冷たい渓流に足を浸して大喜びしていた。木の枝を真剣に拾い集めていた。焚き火そっちのけで神経衰弱をしていた。夜、炎のそばで黙って空を見上げていた。お星さまいっぱい、と言った。
そして帰りの車の中でこう言った。
「また来たい」
自己肯定感が上がったかどうかなんて正直わからない。将来の年収との相関は長い目で見る必要があるだろう。積極性はソフトクリームにしか発揮されなかった。でも「また来たい」で十分だった。
そんなわけで、今回の検証結果は「不明」。
唯一の心残りは、金峰山に登れなかったことである。
——金峰山 戻ってこいよと 吾をよぶ
待ってろよー。
文部科学省「令和2年度 青少年の体験活動に関する調査研究結果報告」
https://epohok.jp/g/g_info/g_info2/mext/13977
国立青少年教育振興機構「子どもの体験活動の実態に関する調査研究」
https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000077964.pdf
信州大学・平野吉直「自然体験活動の成果と意義」(中央教育審議会ヒアリング資料) https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo5/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/05/27/1265683_001.pdf
コールマン「家族キャンプに関する意識調査」
https://www.coleman.co.jp/brandaction/forchildren/experience/enquete/
國學院大學メディア「キャンプがもつ子どもの資質や能力を育くむ体験とは」
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/378066
- 五丈石にはミイラが眠っている——金峰山、父と娘の百名山記録
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