恐ろしいものほど丁重に——怨霊信仰と祟り神

雷神

受験のシーズンになると、天神さまが急に忙しくなる。

境内は合格祈願の絵馬が鈴なりになり、参道は参拝の親子でごった返す。祀られているのは菅原道真。通称、天神さま。学問の神さまだ。子どもの学業成就を願って、日本中の親が手を合わせる。

ところがこの天神さま、もとは都を震え上がらせた日本最恐の怨霊だった。そう言うと大抵は怪訝な顔をされる。

道真は、平安の世に右大臣まで昇りつめた学者であり、詩人だった。だが政争に敗れ、九州の大宰府へ左遷される。都を追われ、失意のうちに遠い西の空の下で死んだ。

それからだ。都の様子がおかしくなる。

道真を陥れた者が次々と病に倒れ、皇太子が若くして死ぬ。日照りと疫病が続く。とどめは、清涼殿せいりょうでんへの落雷だった。宮中の中枢に雷が落ち、公卿たちが目の前で黒焦げになった。

人々は震え上がった。これは道真の祟りだ。恨みを呑んで死んだ男が、雷神となって都を焼きにきた。

祟り神を祀る

ここで面白いのが、そのあとの日本人の身の処し方なのだ。恐ろしい怨霊を封じ込めようとはせず、手厚く祀ったのである。官位を与え、社殿を建て、神として迎え入れた。それが北野の天満宮だ。そうして雷神——祟り神はいつしか、学問の神さまへと姿を変えていった。

祟る神を拝む。しかも学問の神として敬う。ずいぶん思い切りが良い。

そういえば僕も大学受験の年、友だちと天満宮に詣でている。ただ、どこの天満宮だったか、具体的に何を願ったのかはほとんど覚えていない。覚えているのは、行ったという事実と、第一志望の大学に落ちたということだけだ。

神頼みの記憶なんてそんなものだが、この「とりあえず天神さま」という反応こそ、千年かけて僕らの体に染みこんだ作法なのだろう。

道真に限った話ではない。

恨みを抱え、非業の死を遂げた者の霊がこの世に祟りと災いをもたらす。その荒ぶる霊を鎮め、位を贈り、神として祀ることで、災いを福へ転じようとする。こうした考え方を、御霊ごりょう信仰という。平安の日本人が編み出した、目に見えない恐怖とのつき合い方だ。

国家の儀式としてそれが初めて行なわれたのは、九世紀のなかば。神泉苑でのことだった。恨みを呑んで死んだ六人の霊が、まとめて祀られた。その頃、都を襲っていた疫病や天災を、彼らの祟りだと考えたからだ。この御霊会ごりょうえはやがて都の恒例行事となり、数年後には全国六十六か国の数に合わせて六十六本の矛を立て、疫神を鎮めて送る大がかりな祭りが催された。祇園御霊会——いまも七月の京都を埋め尽くす、あの祇園祭の始まりだった。日本でいちばん華やかな祭りの始まりは、怨霊鎮めなのである。

荒魂と和魂

それにしても、日本人はどうして祟り神や悪霊を封じずに祀ってきたのか。

封じ込めるとは、敵として向き合い続けることだからだ。ふたをして押さえる限り、相手は永遠に敵であり続ける。祀れば、話は変わる。恨みを持つ霊に官位を与え、社を建て、秩序と居場所を用意する。締め出すのではなく席を勧める。敵を身内に迎え入れてしまう。

禊や祓えが水や塩で穢れを流す文化だとすれば、御霊信仰は流しても流しきれなかったものを迎え入れる文化なのだ。日本人は消せないものを消そうとはしなかった。抱えることにしたのである。

そこには、神さまに対するある感覚が働いている。この国の神は、二つの顔を持つ。荒ぶる面を荒魂あらみたま、なごやかに恵みをもたらす面を和魂にぎみたまという。同じ神が猛り狂いもすれば、静かに守りもする。祟る力の大きな霊ほど、鎮まったときに守る力は大きい。だからこそ、恐れる相手を丁重に祀るのだ。恐怖と敬意は矛盾せず、同じ力の裏と表なのである。

道真が雷神の祟りから学問の神へ転じたのも、これで腑に落ちる。生前、並ぶ者のない学者だったからだ。その学識が鎮まったのちのご利益として受け継がれた。恐れられた才が、敬われる恵みへと裏返ったのだ。

平将門と崇徳院

この構図は、あちこちで繰り返されてきた。東国で新皇を名乗り、討たれた平将門。その首塚のことは、すぐ前に書いた。朝敵として恐れられた将門も、やがて江戸を守る神となった。それもまた御霊信仰のひとつの実りだろう。

将門よりずっとあとの時代、崇徳院という天皇がいた。保元の乱に敗れ、讃岐へ流された人物だ。この人は絶望の果てにみずから舌を噛み切って、その血で「日本国の大魔縁だいまえんとならん」と書きつけたという。

天皇でありながら、みずから魔物になることを誓ったのだ。その霊は七百年ものあいだ恐れられ、明治になってようやく京へ戻された。恐れが深いほど、鎮魂には時間がかかるようだ。

こうして並べてみると、日本人の宗教観がくっきりと見えてくる。一神教の世界では、悪しきものは祓い、封じ、この世から締め出すべき敵である。日本人は逆の道を選んできた。御しがたい力に居場所を用意し、名を贈り、神として迎える。いちばん恐ろしいものを、消すのではなく、祀るのだ。

時は流れて、我が家では娘が中学受験に臨むこととなった。僕は何十年かぶりに天満宮の境内に立ち、絵馬を書いて手を合わせた。だが娘は落ちた。三年後の高校受験のときは行かなかった。でも受かった。

道真公も苦笑しておられるだろう。ご利益の帳尻だけを見れば、我が家はどうも天神さまと相性が悪い。それでも僕は、あの絵馬が鈴なりの境内が嫌いではない。

恐れ、敬い、理解し、受け入れる

千年前、都をまるごと震え上がらせた祟り神に、現代の親たちが列をなして我が子の未来を願う。恐怖はきれいに忘れ去られ、敬意だけが残った。御霊信仰の完成形とはああいう光景をいうのだろう。

流しても祓ってもどうしても消えないものが、この世にはある。僕らの先祖は、それを無理に消そうとはしなかった。

恐れながらも敬い、理解しようと努め、近くに席を用意する。消せないものを消せないと認め、ともに生きる道を探す。

弱さではなく強さだと僕は思う。この度量の大きさ、人情味の深さこそ、この国の精神文化の神髄ではないだろうか。

この長い作法の先に、僕自身が経験してきたいくつかの出来事がある。うまく説明のつかない、あの長い夜のことを近いうちに書こうと思う。