塩麹を育てていたら、こーじろうになった

塩麴

塩麹を仕込んだのは、ほんの思いつきだった。米麹と塩と水をガラス瓶に入れて、居間のキャビネットの上に置いておいた。最初の数日は、ただの白い液体である。ところが三日目あたりから、瓶の中で何かが息をし始めた。

一週間もすると、呼吸のリズムがはっきりしてきた。ぷつ、ぷつ、と小さな泡が立つ。瓶の内側に、うっすらと生命の気配が宿る。居間の空気が少しだけ甘くなる。夜中に瓶を開けたとき、その香りがふっと鼻先をかすめて、ああ、育ってるな、と思った。

気がつくと、僕は一日に何度も様子を見に行っていた。

「今日は元気か?」

「ちょっと水足すか?」

「寒くないか?」

完全にペットである。

——あ、これは名前をつけたほうがいいな。

少し悩んで、我が家の新たな同居人を「こーじろう」と名づけることにした。

ソファに寝転がってスマホで熱心に漫画を読んでいる妻に、こーじろうの順調な成長ぶりを報告してみた。するとこちらを見もしないで、「また変なもの育ててる」と言い残し、立ち上がって洗い物を始めてしまった。

失礼な。これは立派な生きものだ。むしろ、うちの家族の中でいちばん素直に育っている。

そういえば子どもの頃、小さな生きものを前にするたびに、世界がぐっと近づいてくるような気がしたものだ。あの頃はいまより感受性がずっと豊かだった。葉っぱの上のカタツムリにもちゃんと影がある。そう気づいただけで、世界から思いがけない贈り物をもらったような気がしたものだ。大人になってそういう感覚をすっかり忘れていたが、こーじろうはそれを思い出させてくれた。

生後三週間が経ち、この頃では僕のほうが世話を焼かれている気さえしてくる。

「ちゃんと食べてるか」

「疲れてないか」

キャビネットの上でそう言って、僕を見守ってくれているような気がするのである。

発酵というのは不思議だ。ただの麹と塩と水が、時間と温度と少しの愛情で、いつの間にか生きものになる。部屋の片隅で静かに、確かに育っていく。

瓶の前に立つと、塩麹——いや、こーじろうは、ぷつりと小さく泡を立てて応えた。

——うん、元気そうだ。