若い男は100%欲望で動く——父が娘に伝えた、わが家の性教育。

父と娘

クローゼットの奥に、僕の若いころのアルバムがある。乳幼児期から成人式まで、親が撮ったものと、自分で撮ったものがごちゃまぜになって突っ込まれている。昔の交際相手との写真も、とくに捨てる理由がなかったから、そのまま残っている。

娘が小学生のころ、一度だけ「見たい」といったことがあった。アルバムを開いて、僕と昔の彼女がならんで写っている写真を見たとき、娘はなんともいえない微妙な顔をした。嫌悪とも困惑ともつかない、あの複雑な表情。あれ以来、二度と「見せて」といわなくなった。

わが家は「性教育をしよう」と意識したことはない。ただ、食卓でいろいろな話をしてきた。僕自身の若いころの恋愛話も普通にしていた。すると決まって妻が反応し、不機嫌になって嫌味をいう。娘は娘で、父が「ママ以外の女性」と仲良くしていた話など聞きたくなかったのだろう。食卓の空気が少しざらつく、あの感じをよく覚えている。

娘が恋を知り始めたころ、父が話したこと

娘が小学校の高学年か、中学に入ったころだろうか。恋愛に興味を持ち始めたな、と感じた時期があった。そのころ、僕は父として伝えておきたいことを話した。

「若い男はね、100%、女の子のことを欲望の対象として見てるんだよ」

娘は目を丸くした。「なんでそんなこといい切れるの」と。

「パパ自身がそうだったからだよ。パパだけじゃない。まわりの男もみんなそうだった」

僕は自分の青春時代を振り返りながら、できるだけ正直に話した。爽やかに近づいてくる少年も、笑顔で話しかけてくる同級生も、根っこにあるのは「好き」と「欲望」がごちゃまぜになった、あのどうしようもない衝動だと。

さらに、いまは中年でも老人でも、若い女性や子どもにまで性的な欲求を抱く男が増えている。SNSで知らない男からフォローされたり、メッセージが届いたりする時代だ。娘もすでにスマホを持っていて、そういう話を聞いていたから、僕は釘を刺すようにいった。

「なにかトラブルに巻き込まれてつらい思いをするのは君だし、それは一生消えない傷になる。パパは君がそんな人生を送ることになったら耐えられない。君を傷つけた男に復讐しに行くと思う。そしたらパパは刑務所に入る。だから、パパを刑務所に入れないように注意してくれ」

娘は苦笑いしながらも、真剣に聞いていた。

恋は、少しずつ段階を踏んだほうがいい

最近は、小学生でも異性と「つきあっている」という話を聞く。娘の学校にもそういう子たちがいたらしい。僕は「それは早い」といった。中学生でも早いと思う。

「早すぎると、人生の楽しみがなくなっちゃうよ」

片思いの切なさを知り、恋が実って胸が熱くなる経験をし、何人かとしっかりつきあって、失恋して、また立ち上がって、そうやって人は成長していく。根拠はないけれど、僕はそう思っている。

妻の強烈な体験と、僕の「固まる居間」

セックスの話は、父親からするべきではないと思っていた。そこは妻に任せた。妻には妻で、強烈な過去がある。高校生のころ、つきあっていた同級生と関係を持ったことが義母にばれ、相手の男の子とともに居間に正座させられ、叱責され、その場で生尻を平手で叩かれたという。僕はその話を聞いたとき、背筋が寒くなった。でも、あの義母ならやりかねない、と妙に納得もした。

僕の育ちはまったく逆だった。親は恋愛経験ゼロで、性的な話は完全にタブー。テレビでキスシーンが流れると、親が固まる。すると子どもの僕も固まる。つばを飲み込む音さえ気になるような、あの緊迫した居間の空気。あれはあれで嫌だったし、不自然だった。

性教育は、食卓の空気の中にあった

だからこそ、娘には自然に話せる食卓にしておきたかった。恋愛の話も、性の話も、特別な授業ではなく、生活の延長にあるものとして。

性教育という言葉を使うと、どうしても「教える側」と「教えられる側」の構図になる。でも実際は、食卓の会話や、押し入れのアルバムや、娘の微妙な表情や、妻の過去や、僕自身の育ち——そういうもの全部が、ゆっくりと娘のなかに積み重なっていったのだと思う。

父としてできたことは多くない。でも、娘が恋愛や性に向き合うとき、ひとりで抱え込まなくていいように、家の空気だけは整えておきたかった。それが、わが家なりの性教育だったのだと思う。