深夜二時のパジャマグルメ——三つ星の料理がなぜ残飯に敗北するのか

パジャマグルメ

雑誌記者の仕事をしていた頃、ありがたいことに第一級のレストランで取材をする機会が何度かあった。

一流の料理人が命を削るようにして引いた出汁、完璧な温度管理で焼かれた肉、美しい器——。口に運ぶとき、僕は取材者としての五感をフル稼働させ、「うむ、すばらしい」と通人を気取ってみせる。

そう、格好をつけているのだ。

だが今日、この夜のしじまに告白したい。

僕の人生において、美酒佳肴びしゅかこうの頂点に君臨しているのは、そうした一流の一皿ではない。

深夜二時、家人が寝静まった台所で、よれよれのパジャマを着て、半分寝ぼけながら食べるあれなのだ。

冷凍庫の奥でかちんこちんに凍りついている、いつの代物かもわからない唐揚げの残り。あるいは冷蔵庫の隅に放置されている冷や飯を卵と炒めただけの炒飯——。

ミシュランの調査員が見たら卒倒しそうな粗食を、電子レンジのピーッが家族を起こさぬよう残り一秒で素早く止めるスリルとともに口へ放り込む。その瞬間、脳内にドーパミンがあふれ出るのだ。

——うまい、うますぎる。昼間のあの高級フレンチはなんだったんだ。

こうして台所の薄暗がりで、一人で勝手に満たされている。

ずっと謎だった。

昼間の洗練された料理のほうが、味蕾みらいははるかに上質のシグナルを脳に届けているはずなのだ。

それならどうして深夜のパジャマグルメが勝るのか。

この記事に書いていること

三つ星も勝てない神スパイス

心理学や脳科学の世界には、これを説明する興味深い知見がある。

緊張して社会的な役割を演じているとき、人の舌は甘みとうま味を弱く感じるらしい。そういう実験もある。取材先で背筋を伸ばしていた僕の舌は、そもそも受信状態が悪かったわけだ。

パジャマ姿では逆のことが起きる。誰にも評価されず、何ひとつ演じなくていい。おまけに腹も減っている。冷や飯の炒飯を迎える態勢としてはこれ以上ない。

深夜二時のパジャマグルメには、名シェフも敵わない、安心と解放という二種類の神スパイスが最初からかかっていたのである。

心がゆるむ空間

振り返ると、忘れられない味というものは、いつだってちっぽけな日常の隙間に転がっていた。

娘が幼い頃、小さな手でぎゅっぎゅっと初めて握ってくれた、不格好で塩辛いおにぎり。旅先の香港で、明け方の海を一人で見ながらかじった菓子パン——。グルメガイドに載ることはなくても、僕の頬をゆるめ、沈んだ心を温めてくれたかけがえのない味だ。

現代の食生活は、何を食べるかという情報ばかりが取り沙汰されている。けれど本当に僕らを内側から満たしてくれるのは、話題のお店でもなければ高級な料理でも流行りのスイーツでもなく、それを食べる時の「心がゆるむ空間」なのだろう。

今夜も世界中の台所で、よれよれのパジャマを着た誰かが残り物をそっと噛みしめている。それを思うだけで、なんだか少し救われる気がする。