海藻という名の黒衣——日本の食卓を、ずっと支えてきた話

海藻で出汁をとる

夕飯の味噌汁に、ふと手が伸びる。乾燥わかめをひとつまみ入れるだけで、海の匂いがふわりと立ちのぼる。

海藻は、台所にあると当たり前すぎて、 あまり深く考えることがありません。でも実は、日本人にとってはかなり特別な食べ物なのです。

というのも、わたしたちの腸のなかには、海藻の細胞壁を分解できる酵素を持つ細菌が棲んでいる。これは世界的にもとてもめずらしい。

太古の昔、海藻を食べていたときに、海の細菌が持っていた遺伝子を、腸内細菌が「横取り」したからだそうです。

つまり海藻は、日本人の体にゆっくりと適応してきた食べ物なのです。

はやま

日本人は縄文時代から海藻を食べていたそうです。そのころ遺伝子の横取り——専門的にいうと「水平伝播」が起きた。なんだか海の生き物と人間がこっそり手を組んだみたいでおもしろい話です。

昆布出汁は、「傷の味」

昆布は、海のなかでじっとしているように見えて、 実はかなり過酷な世界に生きています。

波に揺られ、岩にこすられ、魚につつかれ、表面に小さな傷がつく。その傷を修復するために、昆布はグルタミン酸をにじませます。これが、いわゆる「うま味」の正体。

つまり——昆布出汁は、海のなかで昆布が自分を守るためにつくった「傷の味」です。

人間はそれを「おいしい」と感じて、味噌汁や煮物の土台にしてきました。海で生きるための防御物質が、いつしか日本の食卓の中心になっている。なんとも不思議な話です。

それを知ってからというもの、昆布で出汁をとるとき、冷たい海の底で、何度も傷つきながら生きてきた昆布の姿を思い浮かべるようになりました(笑)

はやま

もちろん昆布は何も語ってくれません。でも出汁にはこんな物語があったのです。

海苔は、焼いた瞬間に「目を覚ます」

海苔は、袋を開けた瞬間の香りがいちばん強い。

海の底からふっと立ちのぼるようなあのにおいは、けれどもほんの数秒で消えてしまいます。

焼き海苔は、焼いた瞬間に酵素の働きがとまり、香りが一気に立ちあがる。だから、焼きたての海苔は格別。その香りを閉じ込めた海苔の袋を開けたとき、台所の空気が突然、海辺の朝の気配を漂わせるのです。

おにぎりを握るときも、 海苔を巻くタイミングで食味が変わります。最初に巻いておけば、しっとりと米になじむし、食べる直前に巻けば、ぱりぱりした食感が楽しめる。

海苔というのは、刹那の香りを味わう食べ物なのです。

はやま

海苔は娘の大好物。僕の10倍以上は食べています。娘の腸のなかには、海藻が得意な菌がたくさんいるのかもしれません。ちなみにきのこは大の苦手。ひと口も食べない。山(きのこ)の菌と海(海藻)の菌はひょっとすると、犬猿の仲なのかもしれません(笑)

わかめは世界で嫌われ、日本で愛される

わかめは、日本では当たり前の食材。 味噌汁の定番の具であり、酢の物にすれば涼しい。「海藻といえばわかめ」というくらいなじみが深い。

ところが日本以外の国では、とんでもなく嫌われていたりします。

ヨーロッパやアメリカでは、 わかめは「侵略的外来種」として警戒されています。港から広がり、地元の海藻や貝類を圧迫、 養殖業者を泣かせているそうです。日本では汁椀にちんまりと収まっているのに、 海外では「海のギャング」扱い。

おもしろいのは、各国が真剣に駆除の方法を模索する会議のなかで、ある国が真顔でこういったこと。

「食べればいいのでは?」

実は世界中のほとんどの国では、海藻を食べ物として見ていない。わかめを食べる民族は、日本人くらいのものということです。

それを聞いて、こんな俳句を思い出しました。

——琴になり 下駄になるのも 桐の運

同じ桐の木でも、きれいな手になでられながら過ごす一生と、足の裏で踏みつけにされる一生があるという意味。日本のわかめは琴ですね(笑)

はやま

わかめって、ごぼうみたいですね。ごぼうも食べるのは日本人くらい。なじみの食材に対する知識の空白を思い知ると、自分の食卓に少し奥行きが出るような気がします。

海藻は日本の食卓の「黒衣(くろご)」

海藻は、食卓の主役になることがほとんどありません。

お肉やお魚のように堂々とまんなかに座るわけでもなく、卵料理のように食卓に華を添えるわけでもない。

でも、ないと困る——。

味噌汁にわかめ、 おにぎりには海苔、 昆布の出汁、 酢の物のもずく、 佃煮、麺つゆ、漬け物、お鍋のスープ……。海藻は、 「そこにいるのが当たり前」 という顔で、 日本の食卓を縁の下から支えています。

歌舞伎でいえば黒衣(くろご)。 舞台の上では存在しないことになっているけれど、いないと芝居が成り立たない。スポットライトを浴びる役者の背後で、黙って舞台を整えている。

海藻も同じ。地味だけれど、味の輪郭をつくり、料理の色を整えて、食卓の「落ち着き」をつくる。

朝の味噌汁からわかめの香りがするだけで、なんとなく気分が落ち着く。海藻は、そうやって生活のリズムをそっと支える黒衣なのです。

わが家の海藻の記憶

海藻には、家族の記憶がついてまわります。

母がつくる味噌汁には、いつもわかめが入っていました。朝の台所で、鍋のふちから立ちのぼる海のにおい。子どものころの朝のにおい。

母は海藻を惜しみなく使うひとで、味噌汁にも、酢の物にも、煮物にも、とにかく何かしら海藻が入っていました。「体にいいから」という理由でしたが、 いま思えば、あれは母なりの「生活のリズム」だったのではないかと。

娘にも、自然と同じことをしています。味噌汁にわかめを入れると、娘は毎回、ひと口すすってほっとした顔をする。ある日、娘がぽつりといいました。「学校の味噌汁って、なんか味がちがうんだよね」

聞けば、どうやら学校の味噌汁には海藻がほとんど入っていない様子。出汁も薄い。海の香りがしない。

はやま

本物の味噌汁のにおいを子どもなりに嗅ぎわけているようで、なんだかおかしくなりました(笑)

海藻は「海の記憶」を毎日の食卓に運んでくる

派手な食材ではありません。でも台所に立っていると、ある瞬間にその存在の大きさに気づくことがあります。

鍋にわかめを放り込むと、 海のにおいがひと呼吸、ふわっと立ちのぼる。 昆布を水に浸せば、 ゆっくりと色とうま味が広がっていく。海苔を折ったときの、パリッという小気味のいい音。その一瞬一瞬に、海が息を吹きかえす。

海藻は、海の記憶を運んでくる食べ物だとわたしは思います。遠い海の底で揺れていた時間が、 台所の湯気のなかにそっとまぎれこむ。母の味噌汁に、娘の汁椀に、わたしの台所に、同じ海のにおいが流れている。

海藻は、世代をまたぎ、静かに、でもたしかに家族の味をつないでいます。

毎日の食卓の片隅で、海藻はきょうも海の記憶をそっと運んできてくれます。

はやま

うま味発見の記事にも書きましたが、近ごろ昆布が高いのなんの。妻が先日、二千円のを千円で買ったの、といって鼻息荒く日高の大袋を見せてきましたが、あれは千円なのです。それを二千円で売っていただけのことなのです。