冷蔵庫の奥というのは、異界である。時間の流れがちがう。入れた覚えのないものが、いつの間にか“そこにいる”。
ある日、冷蔵庫の掃除をしていたら、奥のほうで瓶がひっそりと鎮座していた。見覚えがない。ラベルもない。色は……茶色。液体。沈殿物あり。
——嫌な予感しかしない。
開けるのが怖い。でも開けるしかない。こういうとき、人はなぜか“自分だけは大丈夫”と思ってしまう。
蓋をひねると、ぷしゅっと小さな音がした。発酵の音だ。中身は……思ったより悪くないにおい。むしろ、どこか懐かしい。
妻が横から覗き込んで言った。
「それ何?」
「……わからない」
「わからないものを育てないで」
「育てた覚えもないんだよ」
妻の冷ややかな視線を浴びながら、僕は意を決し、その謎の液体を指先に少しだけ取り、恐るおそる舐めてみた。
——うまい。醤油でも味噌でもない。でもどこかで会ったことがある味。
その瞬間、思い出した。半年前、僕は“自家製ナンプラー”に挑戦していたのだ。途中で飽きて、存在を忘れていた。
冷蔵庫の奥は、僕の“未完の野望”が眠る場所である。発酵の世界は深い。そして、僕の忘れっぽさはもっと深い。
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