深夜三時、冷蔵庫の奥の異界で、忘れ物が発酵していた

深夜の台所

ある晩、僕は恐ろしい夢を見て、がばっと布団を跳ねのけた。

夢の中で僕は、正体不明の茶色いどろどろした物体に追いかけられていた。必死で逃げていたけれど、追いつかれてしまう。するとそいつはひと跳ねして、頭上から覆いかぶさってきた。全身がぬめぬめとした何かに包まれて息ができない。あわや窒息かというまさにその瞬間、目が覚めたのである。

起きたとき、首筋と額にたっぷりと汗をかいていた。

時計を見るとまだ深夜三時だった。水割りでも飲んで落ち着こう。洗面所に行き、タオルで汗をぬぐい取ってから、台所へ向かう。グラスを取り出し、冷凍庫の氷をスコップですくって放り込む。ガラガラという大きな音が静寂を破る。深夜の台所が一瞬だけ騒がしくなる。酒は何にするかな。少し迷ってから、グラスにマイヤーズを注いだ。

妻が起きてきた。トイレに行くらしい。

「氷の音で目が覚めちゃった。こんな夜更けに何してるの」

「眠れなくてね。一杯飲んだらまた寝る」

「飲みすぎないようにね」

うん、と答えて、つまみのチーズを取り出そうと冷蔵庫の扉を開けた。奥に目がいった。冷蔵庫の奥というのは、ある種の異界である。時間の流れがちがう。入れた覚えのないものが、いつの間にかそこにいることがある。

昼間、めずらしく妻が冷蔵庫の整理をしたようだ。ずっと目につかない位置にあったガラス瓶が視界に飛び込んでくる。ラベルはない。色は……茶色だ。液体。何かが沈殿している。背中を冷たいものが走り下りた。

——これ……正夢じゃないか。ユングが言ってたことは正しかったのか。

嫌な予感がした。台所を墨のような沈黙が固めている。開けるのが怖い。怖いが、中身を確認したい気持ちが次第に強まってくる。そんなアンビバレントな感情が胸の中で交錯するなか、僕は気がつくと瓶のふたを一息にひねっていた。

プシュッ、と小さな音がした。

発酵の音だ。思ったより悪くないにおいだ。むしろ、どこか懐かしい。

トイレから出てきた妻が、横からのぞき込んできた。

「それ、何?」

「……わからない。発酵した何かだと思う」

「わからないものを育てないで」

「育てた覚えがないんだよ」

冷たい視線を浴びながら、僕は意を決し、その謎の液体を指先に少し取った。恐るおそる舐めてみる。

——うまい。醤油でも味噌でもない。でもどこかで知っている味。

思い出した。一年前、僕は自家製ナンプラーに挑戦していたのだ。途中で飽きて、存在をすっかり忘れていた。

冷蔵庫の奥は、僕の忘れ物が眠る場所でもある。発酵の世界には底知れぬ深さがある。そして僕の忘れん坊にも底がない。