棚から転がり落ちたおにぎり——家族の健康を隠れて守るゲリラ糖質制限

家族の食卓

こっそり食べたものは、どうしてあんなにおいしいのだろう。

子どもの頃、母の目を盗んで戸棚のお菓子をかじった。大人になってからも深夜の台所で湯の沸く音に耳を澄ませながら、カップ麺をすすった夜がある。行儀の悪い話だが、あの背徳の味を知らない人は少ないはずだ。隠れて食べるとき、人はいくらか幼くなる。食べ物はいくらかうまくなる。

だが僕には、笑えない「こっそり」を見た記憶がある。

おにぎりとサンドイッチ

入院していたときのことだ。斜め向かいのベッドに糖尿病の患者さんがいた。合併症で左足を切断した方だった。食事はもちろん管理された病院食だ。ところがそれでは足りないらしく、見舞いに来る奥さんに頼んで、おにぎりやサンドイッチをこっそり買ってきてもらっていた。それを床頭台の棚の中にしまいこんでいた。

ある日、看護師がその棚を開けた。

おにぎりとパンが、雪崩を打って転がり落ちてきた。

こっぴどく叱られていた。カーテン越しにそれを聞きながら、僕は正直、驚愕していた。足を失ってもまだ懲りないのか。心配してくれる家族がいて、その家族まで共犯にしてまで、なぜ——。

血糖値スパイクがさらに糖質への欲求を刺激

あれから年月が経って、いまの僕はあの人を責める気になれない。

あれは意志の弱さではなかった。糖質への欲求は、本人の意思よりずっと強いのだ。

ご飯やパン、甘いものを食べると血糖値が急激に上がる。とくに精製された炭水化物——白砂糖や白米、食パンなどは、玄米や雑穀といった昔の炭水化物よりはるかに急激に血糖値を上昇させる。

すると体はインスリンというホルモンを大量に出して血糖値を一気に引き下げる。体は燃料が切れたと勘ちがいして、また糖質を求める。上がっては下がり、下がってはまた食べたくなる。

この乱高下を血糖値スパイクという。血糖値スパイクが引き起こす不調には集中力の低下、いらいら、強い眠気、疲労感などがあり、繰り返すことで血管にもダメージが蓄積していく。

さらに体そのものが「食べろ」と命じるようになる。頭では「食べるな」とわかっている。だがその文字の上に、見えない打ち消し線が引かれてしまう。

体が弱っているときはなおさらだ。病室のベッドの上で、仕事も娯楽も取り上げられて、残された楽しみが食べることだけだったとしたら、あの棚の中のおにぎりはあの人にとって最後の逃げ場だったのだろう。

締めのラーメン

似たような話は病院の外にもある。

友人に糖尿病の男がいる。奥さんから「何かしてあげたいけれど、何をすればいいかわからない」と相談を受けたこともある。ところが当の本人は白米が大好き、食べることが大好きときている。

皆で飲みに行くと、終盤、彼の姿がすっと消える。「もう遅いから締めはやめとく」とみんなが言っているのに、一人で店を抜け出してラーメンを平らげて戻ってくるのだ。満足げな顔で。

ふだんカロリー制限をさせられているから、その反動もあったにちがいない。笑い話なのだが、あの棚の雪崩を思い出すと、僕は胸の奥がすっと冷える。

カロリー制限と糖質制限

病院で糖尿病やその予備軍と診断されると、多くの場合「カロリーを控えてください」と指導される。長らくこれが食事療法の中心だった。ただ近年は考え方が広がってきていて、日本糖尿病学会のガイドラインも二〇二四年版で、エネルギー制限に加えて糖質制限や低GI食を選択肢として挙げるようになった。

カロリー制限の考え方はシンプルで、食べる量全体を減らすというもの。ただ、ひとつ難がある。とにかくお腹が空くのだ。食べたいのに食べられない、それがストレスとなり、外で解放してしまう。

一方、糖質制限は食べる量を制限しない。肉も魚も野菜も、糖質が少ないものは基本的に何でも食べて良い。減らすのは白米やパン、麺類、甘いもの、甘い飲み物など、血糖値を急上昇させる食品だけ。

どうして糖質を控えることが糖尿病やその予備軍に有効なのか。糖尿病の根本的なメカニズムと関係している。血糖値が上がり続けることでインスリンの分泌が追いつかなくなり、やがてすい臓が疲弊していく。その悪循環の入口にあるのが、食後の血糖値の急上昇だからだ。

アドバイスは届かない

ただ、締めのラーメンを味わい意気揚々と凱旋してきた男にこの話をしたところで意味がない。何か言葉をかけてやりたくなるのは人情なのだけれど、残念なことに食事に関する助言は他人には届かない。身内でさえそうだ。

母ががんになったとき、僕は玄米をすすめた。拒否された。父はいま、糖尿病の疑いで検査の結果を待っている。「糖質を控えてみたら」と言っても耳を貸さない。食を学び、食で暮らしを立て直してきた息子の言葉でも届かないものは届かない。よその誰かには届くのに、いちばん届いてほしい人に届かない。食の仕事には、そういう皮肉がついて回る。

黙って変えるゲリラ糖質制限

では、どうするか。

言って聞かないなら、黙って変えればいい。

我が家の夕飯は僕が作っている。作る人間が黙って手を入れれば、食卓は変わる。家族は「最近ご飯がおいしい」と言いながら食べている。

ポイントは次の五つだ。

①白米に大麦を混ぜる

白米に大麦(押し麦)を二、三割混ぜて炊く。押し麦は穀物のなかでも血糖値の上がり方がとりわけおだやかで、玄米よりさらにゆるやかだ。それでいて見た目も味もほぼ変わらない。腹持ちもいい。

②砂糖をステビアに変える

砂糖を他の甘味料に変える。血糖値をほとんど上げないステビアがいちばん確実。てんさい糖やきび砂糖、黒糖は血糖値の上がり方こそ白砂糖と大差ないが、ミネラルを含むぶんだけ得るものがある。

③おかずを増やせば、自然と主食が減る

白米の量を減らすとなると抵抗されるが、おかずを豊富にすれば自然とご飯のおかわりは減る。野菜、豆類、肉、魚、卵など、糖質の少ないおかずをどっさりと出す。「今日も豪華だね」と喜ばれながら、ご飯の量はさりげなく減っていく。無理せず糖質の割合を減らせる。

④パンを低糖質のものに替える

朝食はパンと決まっているなら、ふすま入りの低糖質パンに替える手がある。最近はスーパーやネットでも手軽に手に入るようになった。食感や味もかなり改善されている。

⑤甘い飲み物を置かない

甘い飲み物を家に置かない。代わりに麦茶や緑茶、炭酸水を常備する。あれば飲む。なければ飲まない。

この他、食べる順番を変えるというのも食後の血糖値の上がり方を思いのほか抑えてくれる。野菜とたんぱく質を先に食べ、ご飯は最後にという順番だ。ただしこれには本人の協力が必要。おかずはご飯と一緒に食べたいという人も多いから、むずかしいかもしれない。

それと、すべての糖質を避ける必要はないことも知っておくべきだ。玄米や全粒粉、芋類、豆類に含まれる糖質は、食物繊維とともに摂れるため血糖値の上昇がゆるやかである。果物も食物繊維やビタミンとセットで摂れる。ジュースとは体への影響がまるでちがう。家族の了解が得られるのなら、まずはご飯を玄米に変えてみるのも良い。

なお、すでに糖尿病の治療中で、薬やインスリンを使っている場合は、食生活を変える前にかならず担当医に相談を。家庭でできるのは、あくまで予防的な食の工夫である。

おいしいと思って、感謝して食べる

隠れて食べる話から始めたが、気がつけば僕はこっそり守る側に回っていた。同じ「こっそり」でも、こちらは叱られる心配がない。

もうひとつ心がけていることがある。体に悪いと思いながら食べないことだ。そう思って口に入れたものは、体を本当に害する。白米が悪い、糖質が悪いと目を吊り上げて食卓を囲むくらいなら、何も変えないほうがましだとさえ思う。おいしいと思って感謝して食べる。そのうえで、気づかれない程度にそっと手を入れておく。

今夜も大麦入りのご飯が炊ける。湯気の向こうで、家族は何も気づいていない。