だいぶ前の話だが、尾張の味噌蔵を訪れたことがある。
薄暗い蔵に足を踏み入れると、大きな木桶が並んでおり、その上に川石が円錐状に積み上がっていた。大小ふぞろいの石が、桶ひとつにつき約三トン。それが蔵の中にいくつもある。
聞けば、この石積みは豆味噌の熟成に欠かせない仕事だという。均一な圧力をかけ、水分を保ち、自然の重みで発酵を助ける。温度管理の設備はない。石と時間だけが、味噌を育てる。
帰り際、焼き味噌をごちそうになった。豆味噌に刻みねぎと生姜を混ぜて焼いた郷土料理だ。初めて味わう苦みと酸味に少し戸惑ったが、帰宅後、思い立って自分で作ってみた。熱燗と合わせたら最高のつまみになった。思った通りである。
この記事に書いていること
味噌は発酵食品
味噌はいわずもがなの発酵食品だ。大豆と米麹と塩を合わせて発酵、熟成させる。日本人が千年以上かけて育ててきた食の知恵である。
発酵の過程で、大豆のたんぱく質は麹菌や酵母の働きによってアミノ酸に分解される。これが深いうま味の正体だ。同時に、乳酸菌と酵母が腸内環境を整える働きをする。毎日食べることで、その効果は積み重なっていく。味噌汁が体に良いと言われるゆえんである。
味噌の種類
日本の味噌は大きく分けて三種類ある。
我が家の定番の米味噌は、大豆と米麹と塩で造る。信州味噌や白味噌など、日本でもっとも広く流通している味噌である。風味も甘口から辛口まで幅広く、どんな料理にも合わせやすい。
うちの妻が米味噌より好む麦味噌は、大豆と麦麹と塩で造る。九州や四国に多い。甘みがあってまろやかな風味が特徴だ。
最後になったが、先述の豆味噌は大豆と豆麹と塩で造る。米や麦は使わない。代表的なのは、愛知県の八丁味噌だ。独特の渋みとコクがあり、色は赤黒い。二夏二冬という長期熟成によってアミノ酸が豊富になり、出汁がなくても味噌だけで十分なうま味が出る。煮込んでも香りが飛びにくいのが特徴で、味噌煮込みや味噌カツといった料理とも相性がいい。
どれが優れているということはない。それぞれの土地の気候風土が育む食文化そのものだ。たとえば愛知の高温多湿な気候は米味噌造りに向かず、大豆だけで造る豆味噌が発達した——。土地柄が味噌の種類を決めていったのだ。
味噌の選び方
同じ味噌でも熟成期間によって、風味に格段の差が出る。
スーパーに並ぶ手頃な味噌は、数週間から数か月で出荷されることが多い。発酵を人工的にコントロールし、短期間で均一な味に仕上げる。効率的ではあるものの、長期熟成が生み出す複雑なうま味やコクは残念ながら期待できない。
だから我が家では熟成期間が一年以上のものを目利きしている。
それともうひとつ。原材料にもこだわっている。といっても、むずかしい話ではない。原材料が大豆、米か麦、塩だけ。あるいは大豆と塩だけ。これが本来の味噌だからである。
酒精や化学調味料が入っているものもあるが、発酵を途中で止めたり、香りやうま味を人工的に補ったりしたものだ。どれも価格を抑えるための工夫ではあるけれど、発酵食品としての恩恵は限られてしまう。
味噌汁には米味噌か麦味噌を使い、豚モツや牛筋の煮込みなどには豆味噌、正月の雑煮には白みそと使い分けている。
毎日の一杯で、発酵の力を
あの薄暗い蔵に漂うひんやりした空気と、木桶の上で黙々と石を積む職人の姿はいまでも鮮明に覚えている。食品を作ることの困難と実直さを垣間見た気がしたからだ。
それから二年以上、三トン三百個の川石の下で熟成した味噌が、毎朝の一杯になる。そう思うと、食卓の味噌汁がそれまでとちがって見えてくる。
僕はあれ以来、いつもの米味噌の味噌汁に少し、豆味噌も溶かしていただいている。
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