一生モノと菓子パン——二十円の値上げに悩む妻が、二万円の双眼鏡を買った

ライブ会場で菓子パンを食べる妻と娘

我が家の財務は、引き締まっている。

ティッシュを二枚重ねで抜こうものなら、厳しい視線が飛んでくる。電気代の通知が来る日、妻はスマホの画面を決算委員会の顔で見つめる。ガスの検針票には時々小さくため息が添えられる。

好きなお菓子が百五十円から百七十円に値上がりしたときなど、スーパーの棚の前で動かなくなった。二十円の攻防である。結局その日、お菓子はかごに入らなかった。あっぱれな財政規律だと、僕は素直に感心していた。

その妻が、二万円の双眼鏡を買った。

発端はリビングのテーブルである。見慣れない箱が鎮座していた。双眼鏡らしい。ああ、と僕は思い当たった。明日、妻と娘は国立競技場へ行くのだ。ミセスグリーンアップルのライブである。当日の朝を待つ遠足の荷物のように箱はつややかに座っていた。

洗い物をしている妻に聞いた。

「見ていい?」箱に手を伸ばす。

すると妻は「あ」と小さく言って、不快そうな顔をした。

「せっかく自分で買ったんだから、自分で開封したいの」

僕は箱をそっとテーブルに戻した。

開封の儀、というやつだ。気持ちはわかる。わかるが、同じ「開ける」でも袋麺なら何も言わないのに、この箱は指一本触れることも許されない。開封という行為にこれほどの格差があったとは。まあいい。ここまでなら微笑ましい話だ。

「倍率いくつなの」と僕は聞いた。

「八倍」

「普通だね」

「でもいろいろ覗き比べて、これがいちばん明るくて広く見えたの」

覗き比べて? 聞けば、ヨドバシカメラの売り場で各社の双眼鏡を手に取り、覗き、吟味してきたという。妻が一人で家電量販店に行くところなど思い出す限り一度も見たことがない。正直、驚いた。

「調べていったの?」と僕は聞いた。

「もちろん」妻は胸を張った。「候補は三つあったの。これとニコンと、あと一万円くらいのやつ」

ん、と僕は思った。一万円「くらいの」やつ? 一万円が安いほうの候補に挙げられている。この会話の相場観はなんだ。では目の前のこの箱はいったい——。

「……これ、いくらだったの」なるべく軽く聞こえるように言った。

「二万ちょっと」

「お、おう」

僕は固まった。二十円の値上げに棚の前で立ち尽くした人が、二万円と言ったのだ。しかも明日、一回のライブのためにである。動揺を悟られぬよう、僕は財務大臣の顔をうかがった。大臣は、涼しい顔をしている。

「また行くかもしれないしね。それにもう一生買わなくていいくらいのつもりで買ったから」

一生モノ。出た。伝家の宝刀である。この五文字を鞘から抜けば、どんな買い物も正当化できる。僕がアウトドア用品の衝動買いで同じ刀を抜こうとすると、大抵は鞘ごと取り上げられるのだが。

だが、悔しいことに反論の言葉が出てこない。

考えてみれば、妻の帳簿は何ひとつ破綻していないのだ。ティッシュの一枚、電気の一円、お菓子の二十円。日々の細かい引き締めがあればこそ、ここぞの二万円がためらいなく出せる。節約とは我慢のことではなく、配分のことだった。

彼女は日常を削って、非日常に注ぎ込む。推しの立つ国立競技場のステージを誰よりも明るいレンズで見るために。なんのことはない。我が家でいちばん経済というものをわかっていたのは妻だったのだ。毎日食費をやりくりして夕飯を作っている僕は、二十年ものあいだそれに気づいていなかった。

そう思うと、開封の儀を拒まれた理由もわかる。あの箱には売り場で覗き比べた時間と、三つの候補で悩んだ夜と、明日への期待まで丸ごと詰まっているのだ。二万円はレンズの代金ではない。前夜祭ごと買ったのだ。夫の指紋などつけていいものではなかった。

ここまで理解が追いついたところで、僕は妻に聞いた。

「明日は何時に出るの?」

「三時くらい。夕飯いらないよ」

「夕飯どうするの?」

「コンビニで菓子パン買って食べる」

……菓子パン。

二万円の双眼鏡でライブに臨む人の、当日の夕飯が菓子パン。

目のためには最高の機材を惜しまず、胃袋には百五十円の小麦と砂糖の塊をあてがう。この配分はいったいどういう帳簿なのか。よりにもよって我が家はふだん、僕が小麦だの糖質だのと小うるさく言っている家である。その僕の目の前で、遠足前日の小学生のような顔で、明日は菓子パンと言い放った。

いやいや、待て待て待て。わかっている。これもたぶん、彼女の中では筋が通っているのだ。明日の主役は舌でも胃でもなく、目と耳なのだ。食事は最短で済ませ、浮いた時間と集中力のすべてを推しに捧げる。

菓子パンは手早く食べられて、汁もこぼれず、並ばずに買える。道理である。完璧に道理である。僕が毎晩、出汁を引き、野菜を切り、一汁三菜を整えているあの手間は、明日の彼女の帳簿には載っていないというだけのことだ。

負けた、と思った。

せめて出がけに、おにぎりのひとつも握って持たせてやろうか。いや、それも余計なお世話というものだろう。明日の菓子パンはただの菓子パンではない。国立競技場の光の中で食べる、祭りの菓子パンなのだ。僕の一汁三菜が逆立ちしてもかなわない味が、きっとする。

明日の夜、帰ってきた二人に、にやにやしながら聞いてやるつもりである。「二万円の視界は、どうだった」と。答えはもう予想がついている。最高だった。よく見えた。買ってよかった。それから、たぶんこうだ。

——目が合ったの。

八倍のレンズの向こうから、こちらへ視線が返ってくる確率について、僕は何も言わないでおく。財務大臣の帳簿では、それはもう確定した黒字なのだから。