ずるい、と母は言った

窓とやかん

娘が小さい頃、よく食卓で好きな人の話をした。スーパーのレジのお兄さん、保育園のたけし君。聞いている僕は、ふんふん、と相づちを打っていればよかった。そのころの娘の「好き」は、夕飯のおかずの話と同じ重さしかなかったからだ。

潮目が変わったのは、中二だったか中三だったか。ある晩、娘がまた好きな子の話をしている。たいした中身ではない。けれど箸を動かしながら、僕の奥のほうで一匹の雄が、ふいに顔を上げた。

——これは、マジなやつだ。たぶん、初恋だ。

背中にぴりりと電気が走った。

娘は「かっこいいけど、性格は悪いねんな」などと品定めをしている。そんな男はやめておけ、見た目で選ぶとろくなことがないぞ。喉元まで出かかった。が、なんとか「へえ」を絞り出した。考えてみれば僕だって、人を見た目で好きになったり嫌いになったりして生きてきたのだ。父親の顔で、えらそうなことを言える筋合いはどこにもない。

その晩、布団に入って妄想が止まらなくなった。数年もすれば、娘は男を家に連れてくるだろう。そのとき僕はにこやかに茶を出すべきか、それとも娘を泣かせたら承知しないぞと、態度でそれとなく威嚇しておくべきか。どうせ十代の恋などすぐ終わる。いや、終わると決めつけるのは娘に失礼だ。一人、頭の中で筋書きを書いては消し、書いては消ししていたら、空が白んでいた。

翌日、その話を妻にしたら、普通にしていればいいのよと笑われた。でも僕にはその普通がよくわからない。手本がないからだ。

学生の頃、交際相手を実家に連れて帰ると、母は決まってそっけなかった。ある日などは「お母さん買い物に出るから、あんたたちも外へ行きなさい」と言う。年頃の男女を、家に二人きりにするわけにはいかない、と。

そんなことが重なって、僕は新しい相手ができても、母には紹介しなくなっていた。ある晩、食事の最中に母が出し抜けに聞いてきた>

「あの娘と結婚するつもりなんか?」

「東京に出るつもりやし、どうかな」

すると母は少し眉を寄せてから、背筋を伸ばして言った。

「それやったら別れなさい。女の子は、あんたのおもちゃとちがうんやで」

とどめは上京が決まった頃だ。東京で落ち着いたら相手を呼んで一緒に暮らそうかな、と食卓で何げなく口にしたら、母は強い口調で一息にまくし立てた。

「あんた、それはあかん。夢と女の子と両方手に入れようやなんて、ずるい」。

ずるい。その一語に、僕は固まった。

僕はそれまでずっと母を生真面目なのだと思ってきた。道徳の人なのだと。当の母だってそういう顔をしてきた。本気でそう信じていたのかもしれない。

ところが娘の恋にうろたえる夜を経て、僕はあのときの母の心の奥底にあったものが見えた気がした。嫉妬である。それは僕に対してではなく、恋をしているすべての人間に向けた暗い羨望だった。

母は田舎に育ち、年頃になると見合いをして、父と一緒になった。外で働いたこともなければまともに恋愛をしたこともない。母は、道徳的に生きると自分で決めたのではなかったのだろう。そうとしかふるまえなかっただけだ。他の生き方を選ぶ手札を最初から一枚も配られていなかった。

そう気づいたとき、最初に立ち上がったのは、気の毒だなという思いだった。

うちの母は昔からなぜか金縁の眼鏡をかけており、いつも僕に正論めいたことを突きつけてきた。声を荒らげることも多く、手が出ることもあった。当時は心の中で教育ママのロボットみたいだと思っていた。

だが、いまならわかる。あの正論も、とがった目も、自分の人生に埋められない欠落を抱えた人の、精一杯の構えだった。金縁の眼鏡はその奥の自分を隠すためのささやかな盾だったのだろう。

叱られるたびに僕は縮こまったが、それはまあ、こちらがいい加減だったのも否めない。ただ大人になって思うのは、母は精神的にずいぶん幼く、そしてもろい人だということだ。

ひとつ断っておくと、僕は母を恨んではいない。これっぽっちもだ。いやな記憶ばかりではない。やさしいときもあった。世話にもなった。食卓や居間で、腹を抱えて笑った夜も数えきれないほどある。こう書くと、だから僕は母を赦せるようになったと着地するのが、こうしたエッセイの作法だろう。でも、ちがうのだ。赦す、とはちがう。なんと言えばいいか——よく、わかるようになった、というあたりが、いちばん近い。

わかったからといって、何かが解決したわけでもない。いまでも母とはよく揉める。ついさっきも「あんたのためや」と言うわりに、ふたを開ければただのエゴで、それを指摘すると母はけろりと開き直った。

「そうや、エゴやで。親なんか、みんなそんなもんや」

そんなことはないと僕は思う。でも母は変わらない。これから先もたぶん変わらない。自分の底に嫉妬があったことにいまも気づいていないだろうし、気づいても認めはしないだろう。

変わったのは母ではなく、僕の立っている場所のほうだ。あの「ずるい」を浴びた息子は、いつの間にか娘の恋に「へえ」とだけ返せる父親になった。うまくやれている自信はない。それでも母とは別の場所に立っている。この場所は、他でもないあの母がいたからたどり着けた場所なのだろう。

受話器を置いたあと、僕は台所へ行ってやかんを火にかけた。沸くまでのあいだ、小窓から外を眺める。陽光にきらめく川面を貨物船がゆっくりと滑っていく。腹は立っていない。気の毒な人だ、とまた思う。ありがとう。ごめん。名前のつかない感情が湯気とともにふわりと立ちのぼる。

僕はそれを、わかる、と呼んでいる。