梅干しはすっぱいのにアルカリ性である——昭和の酸性食品とアルカリ性食品の話

リトマス試験紙をチェックする男

アルカリ食と聞いてぴんと来る人はもう同世代だけかもしれない。昭和の大人たちはよく言っていた。「肉ばかり食べると、血が酸性になる」と。真顔で「酸性になると怒りっぽくなる」と言う人もいた。酸性は悪、アルカリは善。そういう時代があったのだ。

例によって、僕はやった。食品を酸性とアルカリ性に分けた一覧表を自分で作り、献立を組み替えた。

ところがこの表が一筋縄ではいかない。肉と米と卵が酸性なのはまだわかる。わからないのはレモンと梅干しである。あんなに酸っぱいのにアルカリ性食品の王様だという。

理由を調べてのけぞった。判定の基準は、燃やして灰にしたとき、その灰が酸性かアルカリ性かなのだそうだ。燃やすのだ。食べ物を。僕は梅干しを食べているのであって灰を食べているのではない。

それでも当時の僕は真面目だった。真面目ついでにリトマス試験紙まで買った。何を測るのか。むろん尿だ。

毎朝、トイレで試験紙の色とにらめっこしては一喜一憂する。本日の僕、弱酸性。どこかの石鹸の宣伝みたいだが、当人は真剣そのものである。しまいには人間まで分類し始めた。あの人はなんとなく酸性っぽい、あの人はやさしい。きっとアルカリ性だ。アルカリマンだ。妻に「最近、人を酸性かアルカリ性かで見てるでしょ」と言われて、はっと我に返った。

だが、後年になって僕は知ることになる。食べ物で血液のピーエイチはほとんど動かない。血のピーエイチは七・四前後。そこからわずかでも外れないように、肺と腎臓が二十四時間態勢で調整し続けているのだ。

ついでにいえば、僕の尿のピーエイチが日々揺れていたのは、体が酸性に傾いていた証拠ではなかった。逆なのだ。血を七・四に保つために腎臓が余分な酸を尿へ捨てていたのだ。試験紙はうそをついていなかった。ただ僕が測っていたのは体の中身ではなく、いわば排水口だったのである。体の敗北を記録しているつもりで、体の戦果を測っていたわけだ。

これを知ったとき、僕は笑うより先に別のことを思った。

闘病でぼろぼろだった頃、僕は自分の体をポンコツだと思っていた。だがそのポンコツは、僕が何を食べようと調子がどれほど悪かろうと、血のピーエイチだけは寸分の狂いなく守り続けていたのである。文句ひとつ言わずに毎日、毎秒。健気どころの話ではない。僕は試験紙なんかではなく、もっと別のもので体を見るべきだった。

それからもうひとつ。あの一覧表のアルカリ性食品の欄をあらためて眺めてみると、野菜、海藻、きのこ、大豆、梅干しなど、要するに昔ながらの和食の名脇役が勢ぞろいしている。理屈はともかく、食卓は正しかった。人間は正しい理由で正しい飯を食うとは限らない。まちがった理屈が、正しい飯を食わせることもあるのだ。

我が家ではアルカリ食の理論は卒業したが、語彙だけが生き残った。言い合いになると、妻が言うのである。

「はい、酸性モード入ってます」

そう言われると怒りが続かない。アルカリ食のいちばんの効能はたぶんこれである。