卵焼きの失敗に哲学で言いわけする父の話

卵焼きを作る父

娘の弁当を作り始めた時、生まれて初めて卵焼きをきれいに巻く方法を模索した。それまでは妻の弁当だけだったから、崩れても焦げても別段気にしたこともなかった。

娘の弁当となると話は別だ。卵焼きひとつにも、父の面目という厄介なものが顔をのぞかせる。

やってみると、これが案外むずかしかった。SNSやレシピサイトなどを見ながら試行錯誤を繰り返す日々が始まった。

一日目——焦げた。

焼きすぎてしまった。

動画サイトを見ていたら、プロの卵焼き職人と名乗る人物が、強めの中火で一気に焼き上げろと自信たっぷりに話していた。言うとおりにしたが、うまくいかなかったのだ。

失敗作をそっと食卓に乗せた。娘が「黒いね。焦げてる」と言う。見ればわかる。僕はすかさずヘラクレイトスの言葉を持ち出した。

「人は同じ川に二度入ることはできない」

卵焼きもまた、同じ姿には二度と戻らない。焦げたとしても、それは今日という川の流れである。人生と同じで、やり直しはきかない。ビデオゲームとはちがう。しかしそこが面白いのだ。

娘は小首をかしげていた。

二日目——硬い

別の動画に、火加減は弱めの中火をキープしろとあった。頼むよ、卵焼き職人。卵焼き器に十分に油が回っていないことも焦げる原因だという。

そこで今日は、油をたっぷり引いた。じっくりと卵焼き器を熱し、煙が立ってから、おもむろに卵液を投入したのだが……。

硬い。恐るおそる食卓の娘に差し出す。

「今日のは硬いね」眉をひそめる娘に、僕は準備していたアウグスティヌスの言葉を教えてやった。

「完全なものは、もはや成長しない」

僕は「この硬さは、伸びしろがある証拠なんだ。希望の卵焼きと言ってもいい」と続けたが、娘はテレビに出ているミセスなんとかに夢中である。甲高い声で歌う男を見ながら、目をきらきらと輝かせていた。

三日目——崩れた。

昨日の卵焼きが硬かったから、今日はやわらかくするため一計を案じた。出し汁を入れることにしたのである。

ところが量が多かったようで、うまく巻けずに崩れてしまった。しかも水っぽい。ケチャップをかけてごまかし、食卓に置いた。

一目見て娘が言う。「今日の卵焼き、べちょっとしてるね」

反射的にうな垂れてしまう。だがすぐに気を取り直し、「いや、それはスクランブルエッグという食べ物だ」と返す。間髪入れず、用意していたエピクテトスの言葉を引用してみせた。

「世界は意見によって形作られる」

崩れているかどうかは意見だ。娘が崩れていると言えば崩れているし、父が崩れていないと言えば崩れてはいない。スクランブルエッグだと言えば、それは失敗した卵焼きではなく、スクランブルエッグなのだ。世界とはそういうものである。

一息にそう語り終え、娘を見たせら教科書とにらめっこしていた。宿題か? と聞くと、「うん、数学。でもこんなの、なんの役に立つのかな?」と言う。

「こんなことができなくて、おまえは大きくなってなんの役に立つ?」と返したら、娘は顔を上げて「ほう」とでも言うかのような顔をした。父の面目躍如だ。

四日目——きれいに巻けた

崩れるのは、卵に火が入る前に巻こうとするからだという。その個人ブログには解決策がくわしく書いてあった。

卵液をお玉半分ずつ流すこと、火加減は強めの中火、卵が七割がた固まってから巻き始めること、卵一個に対して出汁は大さじ一杯、さらに片栗粉を小さじ二分の一程度加えること——。

強めの中火? 一瞬あのプロの顔が頭をよぎり苦い気分になったが、今の僕はすでに卵を巻くタイミングを熟知している。二度に分けて卵液を流し込み、その都度、油を足すという上級テクニックも習得済みである。今回こそ大丈夫だ。

ついにうまくいった。

うきうきと弁当に卵焼きを詰め、残りは食卓の中心にどんと置いた。さあ、召しあがれ。台所で調理器具を洗いながら、娘の反応を横目でうかがう。

一口食べた娘がこう言った。「味がしない」

味が……しない? それを聞いて、僕は塩をかけられたナメクジのようにしお垂れてしまった。

そういえば、出汁やら片栗粉やらお玉半分やら七割やら、今日はいろいろなことに気をとられてしまい、塩や醤油を入れるのをうっかり忘れていた。

台所の床にくず折れそうになりながら、僕は温めていたアリストテレスの言葉を持ち出した。

「習慣は第二の天性である」

つまり、味が薄いのはパパの天性であって、抗うべきではない。それを受け入れるべきなのだ——などともはや自分でも何を言っているのかわからない呪詛のような言葉を繰り出しながら、娘の弁当箱の卵焼きを妻の弁当箱の唐揚げと交換していく。

「パパ、さっきからぶつぶつ何を言ってるの。これ、ぜんぶ食べなきゃダメかな」

「いい、いい。食べなくていいよ。そういえば食べるなってギリシア語ではレストランのことだそうだよ」

さすがに四日も失敗が続くと、動揺を禁じ得ない。

五日目——ようやく成功

卵三個に対し、出し汁は大さじ三杯、砂糖とみりん、醤油を小さじ一杯ずつ、塩ひとつまみ、片栗粉を小さじ半分——これは、SNSで人気の料理研究家のレシピだ。今度こそうまくいきそうな予感がする。

隠し味にマヨネーズを大さじ一杯入れるという上級テクニックも今日は仕入れてある。コクが出るし、発色も良くなるらしい。

五日も作り続けていると、もう手慣れたものである。卵焼き器でささっと卵焼きを巻き上げ、皿に移して食卓に置いた。

息を殺して、娘の様子を見守る。

一切れつまんで「今日のはおいしい」と娘が微笑んだ。四日間の哲学的言い訳のすべてが報われた気がした。

思わず娘に駆け寄って右手を上げる。何? という顔をしながらも、娘はハイタッチに応じてくれた。

卵焼きに潜む本質とは

卵焼きは、卵と調味料の塊だ。

それでも台所で毎日巻いていると、そこに小さな世界があるように感じてくる。焦げたり、固まったり、崩れたりしながら、少しずつ形になっていく。

それにしても、二十年来の哲学趣味が、台所でこんな使われ方をするとは。

手元の哲学書のページにはこう書かれていた。

——本質は、いつも目の前の些細なものに隠れている。

卵焼きのような些細なものの中にも。