白状すると、僕はハンバーグをひとつ行方不明にしたことがある。
ある昼下がりのことだ。取り寄せた沖縄あぐー豚のハンバーグと、僕は食卓で対峙していた。
箸で割ると、中から肉汁がじゅわっとあふれる。完璧だ。よし、いただくとしよう。口へ運ぼうとしたとき、先日買った宝くじの当選発表がもう出ていることを思い出した。
この記事に書いていること
ハンバーグと宝くじと動画サイト
かたわらのスマホをつかんだ。いつものようにどきどきしながら確認する。無念……。それにしても、定期的に買っているのに一向に当たらない。当選確率はいったいどのくらいなのか。
ハンバーグを食べながら検索した。サマージャンボの一等の確率は、二千万分の一。一年以内に文明が吹き飛ぶ規模の隕石が地球に衝突する確率のほうが高いらしい。二度と買うものか。
箸を動かしながら、次々と出てくるおすすめ動画を眺める。人間が一生のうちに出す垢は米俵七俵分になるという。うへっ。こちらは食事中だぞ。寝ている人の寝言に返事をすると、脳が相当なダメージを受けるらしい。ふむ。我が家の猛禽に今度こっそり試してみるとしよう。想像するだけで薄ら笑いが浮かぶ。
ここから、僕の脳が驚異的なマルチタスクを始めた。
目はスマホの動画を追い、頭はその内容を理解しようと働き、同時に「夕方の打ち合わせまでに資料を直さねば」「明日の取材の質問メモはどうしよう」と別の案件まで並行処理を進めていく。そのあいだ右手は休みなく箸を動かし、肉片を口へ口へと運び続けていた。
「ながら食べ」による、満腹感の喪失
やがて見たい動画が尽きた。われに返って愕然とした。皿がからっぽなのだ。
——あれれ。ハンバーグはいずこへ。
家人がつまみ食いでもしたのかときょろきょろしたが、姿はない。口の奥にかすかに残るデミグラスソースのコクが静かにこう言った。
——食べたのは、まちがいなくお前だよ。
まぎれもなく僕が食べたのだ。にもかかわらず、あぐー豚の味も食感もまったく覚えていない。せっかくのハンバーグが台無しだった。
いくら食べても満たされない状態の正体だ。
画面を見ながらの食事は、脳が食べたことをうまく認識できないという報告がある。ある実験では、食事中にゲームをしていた人は食後の満腹感が低く、そのあと出されたお菓子をいつものおよそ二倍も口にした。
お腹には確かに届いているのに、脳はまだ食べていないと勘ちがいする。消えたのはハンバーグではなく、ハンバーグを食べた記憶のほうなのだ。
困ったことに、問題は記憶だけにとどまらない。
体は先に準備している
パブロフの犬がよだれを垂らしたのは、意地汚いからではない。食べ物を見た瞬間から、体が食事の下ごしらえを始めるからだ。人間も同じで、唾液も胃酸も消化酵素も口に入る前から先回りして出ている。
スマホに気を取られていると、この下ごしらえが始まらない。準備運動なしで本番に放り込まれた胃は当然もたれる。食べたのに満たされず、消化にも良くない。踏んだり蹴ったりである。
そこで僕は、食事の最初の三噛みだけは何も見ないと決めた。スマホを別室に置き、テレビを消し、味と食感と鼻に抜ける匂いだけに集中する。食べることを一種の瞑想としてとらえる考え方もある。実際、無心で食べることで過食が減ったという報告もある。
スマホが、情報の咀嚼力を退化させる
食べ物に限った話でもないだろう。
僕が食べながら見ていたスマホのダイジェスト化された情報も、やわらかく調理されすぎた食べ物と同じで、噛む必要がない。そういう情報ばかり摂取していると、歯や顎と同じように物事を咀嚼する力がゆっくり退化していくのではないだろうか。僕が動画で仕入れた「垢が米俵七俵」もたぶん、栄養にならない一口だった。
後日、僕はまた例のハンバーグを取り寄せた。今度はスマホを別の部屋に置き、最初の三噛みに全神経を注いだ。肉汁の甘み、粗く挽いた肉の弾力、鼻へ抜けるデミグラスソースの香り——。あぐー豚はおそろしくうまかった。
ハンバーグはどこへも行っていなかった。あの日、席を外していたのは、僕のほうだった。
- ながら行動で生活が薄っぺらく——歯磨き・洗濯・歩行に潜む、脳の静かな悲鳴
- 裏返したスマホ——ごちそうさまのあと、なぜすぐ手が伸びるのか
- 出汁のにおいというお守り——嗅覚は記憶を直接呼びさます
- 煮詰まったら、15分だけ目をつむれ——仕事ができる人がマインドフルネス瞑想をやめない理由
- デジタルが苦手な人たちのこと。——スマホとぬか床のあいだでどう生きるか
Anticipatory physiological regulation in feeding biology: Cephalic phase responses
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2297467/
Eating attentively: a systematic review and meta-analysis of the effect of food intake memory and awareness on eating behavior
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23446890/
Mindful Eating: The Art of Presence While You Eat
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28848310/
An Exploratory Study of a Meditation-based Intervention for Binge Eating Disorder
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22021603/
Oldham-Cooper RE et al., “Playing a computer game during lunch affects fullness, memory for lunch, and later snack intake.” Am J Clin Nutr. 2011;93(2):308-313.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21147857/
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

