生きて帰る、それが任務だ——ヒメスナホリムシとボディボードと脳震盪

父の娘が海を見ている

ひと夏に十回以上、海へ行った年がある。

娘が小学三年生の頃の話だ。「今週も行く?」「行く行く」という会話が夏休み中続いていた。弁当を作って、日焼け止めを塗って、車に乗り込み、海へ向かう。それを何度も何度も繰り返した。

当時を思い出すとき、何かとてつもなく大切なことをしていたような気がする。ただ娘と一緒に海にいただけの時間——それがどうしてそんなに大切だったのかを、ウィニコットという人が教えてくれた。

ヒメスナホリムシとの出会い

娘がある日、波打ち際で遊んでいて、いきなり騒ぎ出した。

「足がチクチクする。何かが噛みついた。なんかいる!」

娘の周囲をざっと確認した。けれど何も見つからない。僕は笑いながら娘の頭をなで、また沖に泳ぎに出た。

戻ってくると、娘がまた言った。

「パパ、やっぱりなんかいる! 絶対いる!」

今度はしばらく隣に座ってみた。すると、チクッときた。

娘の話は本当だった。帰ってから頭を突き合わせて一緒に調べてみたら、ヒメスナホリムシという生きものの仕業だとわかった。虫という名前がついているが、正確にはエビやフナムシの仲間だ。砂の中に潜み、波打ち際をうろつく生きものの足にかじりつく習性があるという。

海にはそれまで何十回、いや百回以上行ったけれど、ヒメスナホリムシの存在も名前も知らなかった。そのとき娘に初めて教わったのだ。

娘はこの経験を自由研究にした。学校でとても褒められたそうだ。

遊びのなかでしか育たないもの

ドナルド・ウィニコットは、二十世紀イギリスの小児科医であり、精神分析家だ。生涯にわたって数万人の親子と向き合った人で、遊ぶことに関する思索の深さでは右に出る者がいない。

その彼がこんなふうに言った。

——遊びのなかでしか、子どもが手に入れられないものがある。

子どもは遊びながら、自分が何を感じているかを確認している。何が怖くて、何が楽しくて、何に夢中になれるか。遊びという安全な場所で繰り返し試す。そうしてさまざまなものを獲得していく。

ヒメスナホリムシの話でいうと、娘は五感を使って世界を観察し、見たことのない生きものを発見するという成功体験を手に入れた。父親に信じてもらえなくても、自分の発見に確信を持ち、それが正しいと証明してみせた。さらにその体験を、自由研究という形で結実させた。大人が教えようとして教えられるものではない。全力で遊んでいるからこそできたことだ。

ウィニコットは、こうも言っている。

——遊べない子どもには治療が必要だ。

もっとも僕が娘を海に連れて行ったのは、ウィニコットに言われたからではないし、まして教育のためでもない。ただ自分が行きたかったからだ。大人にできるのは所詮その程度だし、それでいいと思う。

波に乗られて脳震盪

別の日——。僕は娘とボディボードに興じていた。

娘は黒縁のゴーグルをつけ、頭には学校のプール用のメッシュ帽をかぶっている。おでこにマジックででかでかと「三年五組はやま」と書いてある。がり勉くん、初めて海へ、といった出で立ちで、波に乗るたびにきゃっきゃっと歓声を上げている。夏の日差しをきらきら跳ね返す波の上で、娘の姿はひときわ輝いて見えた。正直まぶしかった。

——かわいい。僕の娘はなんて愛らしいのだ。

そんなことを思いながら、その場に棒立ちになって見ていたら、背後からいきなり大波に襲われた。

まずボディボードが巻き込まれた。リーシュコードに引っ張られ、僕の体も強い力で持っていかれた。ついで額から海底に激突した。慌てて両手をついて四つん這いになったら、血がぽたぽたと水面に滴った。目の上のあたりが急激に腫れてくるのがわかる。ずきずき痛む。

——まずい。こんな無様な姿を、あのきらきらラブリーな娘に見せてはいけない。

そう思って、よろよろと立ち上がって背を向けたが、娘はさささっと前方に回りこみ、「大丈夫?」と僕の顔をのぞきこんできた。

深刻だったのは、脳震盪のうしんとうだった。まるで泥酔したようにふらふらする。立っているのもやっとだ。思考がまとまらない。しばらく砂浜で休んではみたものの一向に回復する気配がない。

そうしているあいだにも夕闇が迫りくる。

病院へ行くべきだと薄々わかってはいた。でも救急車を呼んで、そのあと娘はどうなるのか。妻が迎えに来られるような場所ではない。回らない頭で同じことをぐるぐると考えて、結局、なけなしの力を振り絞って、車で帰ることにした。

高速道路を走りながら、僕は強烈な睡魔に襲われていた。体が熱い。三十八度以上はあるだろう。意識が混濁している。

いま思えば、この時点で病院に向かうべきだったのだが、そのときすでに僕はまともな判断力を失っていた。だから娘に頼み込んだ。

「パパはいま頭も体もおかしいから、意識をしっかり保つためにずっと話しかけていてくれないか。生きて帰る、それが任務だ」

ほとんどヤマトの乗組員である。けれど、これまでの人生で一、二を争うくらい真剣だった。なにしろ娘の命がかかっている。

娘のほうもこれはただ事ではないと察したようで、家に着くまで途切れることなく話しかけてくれた。高速のいちばん左のレーンを時速四十キロで走り、トラックにクラクションを何度も鳴らされながら、娘とずっと話していたことは覚えている。命からがら帰り着いたときは、あんまりほっとしたものだから涙がこぼれた。ついでになぜかおならも出た。

あの夏が娘に残したもの

その日から三日間、三十九度前後の熱が続き、ずっとめまいがして、トイレに行くのもふらつき、仕事も家事もろくにできなかった。四日目には熱が下がってなんとか動けるようになったけれど、ぱっくりと裂けた傷が目立たなくなるまでにかなりの月日を要した。

遊べない子どもに治療が必要だとウィニコットは言ったが、遊びすぎた大人に治療が必要になることもできれば教えてほしかった。

——遊びは、子どもが世界を信頼することを学ぶ場所だ。

これもウィニコットの考えだ。世界を信頼するなんて言うとちょっと大げさだが、ここは安全、何かあっても大丈夫、怖いことがあっても隣に誰かがいて守ってくれる、こういう感覚のことで、遊びのなかでそれは少しずつ育まれていくという。

ヒメスナホリムシを発見した日も、脳震盪の父親に三時間ぶっ通しで話しかけた日も、もしかしたら娘にとってはそういう時間だったのかもしれない。大波に翻弄される、みじめな父親の姿を目の当たりにしたことも含めて。

娘は絵を描くのが好きで、コンクールでたまに賞をもらってくる。誰かに教わったわけではない。小さい頃からただ好きで、ひたすら描き続けている。何かに夢中になる力、没頭できる力は、ひょっとしたら海や山で遊んだ時間が培ってくれたのかもしれない。もちろんそうでないかもしれないけれど、それはどっちだってかまわない。

数年経ったいまも残る、目の上の傷跡を触りながら、そんなことをぼんやりと考える。

今年の夏は、ひさしぶりに海へ行こう。ボディボードはもう少し慎重に扱うつもりでいる。

 

九十九里浜にて。中央に突っ立っている黄色いライフジャケットを着た子が、銀河系一かわいいうちの娘だ