昇進の話が、自分だけ出てこない。
子どもを産む前に握っていたはずのキャリアが、気がつけど遠ざかっている。
「マミートラック」という言葉を初めて聞いたとき、「ああ、これのことか」と妙に納得してしまいました。育休中にスキルが陳腐化する不安。復帰しても元のポジションには戻れないかもしれないという予感。子ども中心の毎日で、「自分」という感覚が少しずつ薄れていく気がする——。
キャリアの悩みのように見えて、実はもっと深いところにある「問い」だと思う。「社会から必要とされているか」「わたしは何者なのか」というアイデンティティの根幹が揺さぶられている。「役に立つこと」という社会的な価値観と、母としての「献身」という価値観のあいだで引き裂かれ、そのどちらにも答えを出せずにいる苦しさ。
今回は、三人の思想家にこの悩みをぶつけてみました。ハンナ・アーレント、フリードリヒ・ニーチェ、ジャン=ポール・サルトル。三者三様の答えが返ってきましたので、どれかひとつ、今夜の枕元に持ち帰ってください。
アーレントの答え:「あなたは今、最も公的な活動家です」
ハンナ・アーレントは、20世紀を代表するユダヤ系ドイツ人の政治哲学者です。ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡り、『人間の条件』『全体主義の起源』などの著作で現代思想に大きな足跡を残しました。彼女の思想の根底には、常に「人間が人間として生きることの尊厳」への深いこだわりがありました。
アーレントは、人間の活動を三つに分けて考えました。生命を維持するための繰り返し作業を「労働(labor)」、道具や作品など世界に残るものを作ることを「仕事(work)」、そして人と人とが向き合い、新しいことを世界に始める行為を「活動(action)」と呼びました。
この三つの中で、アーレントが最も高く評価したのは「活動」です。
ここで、「マミートラックで昇進が遅れている」という状況を、彼女の視点から見直してみましょう。職場でこなす業務は「労働」や「仕事」かもしれません。しかし、ひとりの人間を育て、世界にまだ存在しなかった新しい命を送り出すこと——それはアーレントの言う「活動」そのものです。
彼女はこう言うでしょう。
「あなたは今、経済の歯車としてではなく、世界を新しく始める者としてそこにいます。マミートラックなどという小さな言葉で、その行為を閉じ込めないでください」
スキルや昇進という「労働市場の物差し」で自分の価値を測っているかぎり、ずっと負けた気がしつづけます。でも物差しそのものを変えたとき、景色は一変します。子どもを育てることが「活動」として最上位に位置づけられるなら、今のあなたは「遅れている」のではなく、人間にとって最も根源的な仕事の真っ只中にいるのです。
はやま
ニーチェの答え:「この苦しみを、あなたの人生の作品にしてください」
最後は19世紀ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ。「神は死んだ」という言葉で知られ、激しく挑発的な文体で書き続けた人物ですが、その根底には「人間が弱さを超えて生きる力」への深い信頼がありました。
ニーチェには「アモール・ファティ(運命愛)」という概念があります。難しそうな言葉ですが、要するにこういうことです。
「自分の人生に起きたことすべてを、ただ受け入れるだけでなく、能動的に『そうだ、これが私の人生だ』と引き受けること」。
マミートラックで昇進が遅れている。スキルが錆びていく気がする。子ども中心で自分がない——。
この状況を「仕方ない」とあきらめるのか。それとも「これが今の私の人生だ」とみずから選びとるのか。ニーチェが問うのは、まさにそこなのです。
「自分がない」と感じるのは、今の時期を「本当の人生への準備期間」だととらえているからかもしれません。でもニーチェなら、こう言うでしょう。
「今、子どもと向き合っているこの時間も、ままならない現実を生きているこの経験も、すべてがあなたという人生の芸術作品の一部です。被害者として受動的に生きるのをやめたとき、あなたは状況の奴隷から、人生の作者へと変わります」
ニーチェの「永劫回帰」という概念もよく知られています。「この瞬間が永遠に繰り返されるとしても、それでもこの人生を生きたいか」という問いかけです。今夜、子どもに絵本を読んでいるその時間も、永遠に繰り返したいと思えるなら——それはすでに、揺るぎない「自分」が、そこにあるということです。
はやま
サルトルの答え:「あなたは役割を演じるために生まれたのではありません」
三人目は、20世紀フランスの実存主義哲学者、ジャン=ポール・サルトル。「実存は本質に先立つ」という言葉で知られています。
この言葉をまずは説明します。たとえばハサミには、作られる前から「紙を切る」という本質(目的)があります。でも人間は違う。生まれる前に「こういう人間であるべき」という設計図はありません。生まれてから、自分の選択によって自分を作っていく——。それがサルトルの言う「実存は本質に先立つ」です。
「スキルが陳腐化したら自分の価値がなくなる」という不安は、「スキル=自分の本質」という思い込みから生まれています。「ママだからこうすべき」「キャリアウーマンだからこうあるべき」——そういう「本質(役割)」に縛られる必要は、人間にはないとサルトルは言います。
「あなたは、肩書きや役職のために生まれたのではありません。今この瞬間、何を選ぶか。それだけがあなたの実存です」
スキルの陳腐化を恐れているということは、裏を返せば「また新しいスキルを選ぶ自由がある」ということでもある。今の状況は「終わり」ではなく、次に跳躍するための「空白」——。サルトルの言葉を借りれば、「まだ何者にもなっていない、可能性の時間」です。
はやま
最後に葉山から——台所で、「私という軸」を取り戻す
アーレント、ニーチェ、サルトル——。三者三様の答えが出そろいました。どれかひとつ「そういう見方もあるか」と感じてもらえたなら、それで十分。
最後に、台所の話をさせてください。
社会的な役割で頭がパンパンになっているとき、体は「冷え」と「緊張」に支配されています。まずは体から、地に足をつけ直しましょう。毎度代わり映えしませんが(笑)
今夜の食卓に、根菜のきんぴらをひとつ。ごぼうや蓮根、にんじん——。土の中で時間をかけて育った根菜を、じっくり噛む。噛むたびに「私は今ここにいる」という感覚が、体の奥からゆっくり戻ってきます。どんな資格より、足元に宿る確信が得られます。
主食には玄米を。マミートラックの焦りは、じつは血糖値の乱高下からくる心のもろさと無関係ではありません。未精白の穀物をゆっくり噛むことで、脳に安定したエネルギーが供給される。そうすれば「まあ、時期が来れば道は開ける」という長い視点が、不思議と戻ってきます。
そして、一日の終わりに梅しょう番茶を一杯。番茶に梅干しをひとつ、おろし生姜、しょうゆを少量。肩書きも昇進も、マミートラックという言葉も全部脱ぎ捨てて、その温かさが指先に伝わるとき、あなたは「誰かの母」でも「誰かの部下」でもない、ただのあなたに戻れます。
今のあなたは「ブランク(空白)」を生きているのではありません。人生という長いスパンで見たとき、これは「深い潜行の時期」です。水面下でしか積めない経験が、確かにあります。スキルは後でいくらでもアップデートできます。でも今、子どもと向き合い、葛藤し、ままならない現実を必死に生きているその経験は、履歴書には書けなくても、あなたという人間の器を、計りしれないほど深くしています。
台所は、社会的な役割を静かに脱ぎ捨てて、自分という存在を祝福できる場所です。
はやま
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

