「一汁一菜」を知ってますか? 料理をもっとラクにする、土井善晴さんの哲学

一汁一菜

しばらく前、食のことでかなり迷走していた時期がある。

グルテンフリーをやってみたり、糖質制限に挑戦したり。背中にまな板を入れたようにかちんこちんになっていて、情報は山ほどあるのに、なぜか食べるたびに不安になるという、なかなか本末転倒な状態だった。

そんな時期にたまたま手にとったのが、料理研究家・土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』だった。

読んで最初に思ったのは、「そうだよな」という、静かな納得だった。


「家庭料理はおいしくなくていい」という衝撃

この本で土井さんが言っていることは、ひと言でまとめるなら「毎日の食事に完璧を求めなくていい」ということだ。

ご飯と味噌汁と漬け物。それだけでいい、というのが一汁一菜の基本。献立を考えるストレスから解放されて、季節の野菜を味噌汁に放り込むだけで一食が成立する。シンプルきわまりない提案。

「家庭料理はおいしくなくていい」という言葉には、最初は驚いた。でも手を抜けということじゃない。脳を刺激するような強い味ではなく、体が喜ぶ穏やかさを、という意味だ。

そういう言葉の一つひとつに料理研究家としての地肌のよさを感じた。

はやま

SNSやテレビには、手の込んだ料理があふれている。「ハレ」(お祝いや特別な日)と「ケ」(日常)という日本の古い概念でいうなら、いまは毎日がハレの日のような錯覚に陥りやすい時代。それがプレッシャーになっている。ハレとケの区別を取り戻そう、というのが土井さんの主張の根っこにある。

ぼくは一汁三菜に落ち着いた

正直に言うと、一汁一菜はそのままでは続かなかった。育ち盛りの子どもがいて、大食……おっと失礼、わんぱくな妻もいる(笑)。それに単純にちょっと物足りない。

はやま

食後に妻がお菓子をパクパク食べはじめたとき、「あ、これは足りてないな」と悟った(笑)。無言のフィードバックは雄弁だった。

それで自然に落ち着いたのが、一汁三菜だ。

ご飯と味噌汁に加えて、肉か魚のメインを一品、ぬか漬け、それから作り置きのおかずをひとつ。ひじきの炒め煮だったり、きんぴらだったり、根菜の煮物だったり。冷蔵庫で3日くらいもつものを週に一、二度作っておく。これが我が家のスタイルになった。

作り置きとぬか漬けがあれば、その日やることはメインをひと品作るだけ。ぬか漬けはとりだして切るだけだし、案外まわせるものだ。土井さんの思想の延長線上に、自分なりの型を見つけたという感じだろうか。


「できないからいいや」ではもったいない

一汁一菜という考え方に出会って感じたのは、料理にかぎらず、何かを始めるときの姿勢についてのこと。

「完全に実践できないから意味がない」と思うか、「核にある考え方だけ借りて、自分流にカスタマイズしてみる」と思うか。

はやま

ぼくは後者の方がおもしろいと思う。土井さんが本で伝えたいのも、たぶんそういうこと。レシピでなく、思想を渡したい、と。

毎日の食事は、毎日続く。だからこそ完璧じゃなくていい。しんどい日はお湯を沸かして味噌汁だけでいい。そういう「逃げ場」が最初からあることが、長く続けるためのいちばんの秘訣なのだろう。


一汁一菜を知って和食に戻り、ぬか床を育て始めて十数年——。ぬか床は何度か再起不能になって仕込み直したりしたけれど、それでも続いているということ自体、自分に合っていた証拠だと思う。

土井さんの本は、ご飯の炊き方から味噌の種類、季節ごとの具材の選び方まで、丁寧に書かれている。料理の入門書としてもいいし、食や暮らしの哲学書としても読める。

人生を深く丁寧に楽しむコツがわかる。機会があればぜひ。