「外食や惣菜、加工食品ばかりで、添加物が気になっています」——食卓アドバイザーはやまに相談してみたら

和食

うちは外食が多く、家でも出来合いのものをよく食べています。そしたらある日、夫の母に食品添加物の話をされました。子どもにはちゃんとしたもの食べさせなさいって。それで自分でも気になってちょっと調べたら怖くなりました。料理があまり得意でないし、献立を考えるのも苦手なんですが、外で買ってきたお惣菜やお弁当、加工食品を子どもが食べているのを見ると、最近は罪悪感を感じてしまいます。料理下手の私に何かいい方法はありますか?

相談を送ってくださったのは、小さなお子さんを持つ30代のお母さん。

添加物を気にされるようになったこと自体は、食に関心を持つという意味でいいことだと思います。ただ罪悪感はいらない。いうのは、わたし自身が一時、添加物を気にしすぎて消耗していたからです。

添加物との長いつき合いの始まり

スーパーの棚の前で、わたしはよく立ち往生していました。

手に取った商品を裏返し、原材料の表示にさっと目を走らせる。見慣れないカタカナがひとつでも並んでいると、そっと棚に戻す。次の商品を取る。読む。また戻す。そうやって、買い物カゴをいつまでも空にしたまま、売り場をうろついていました。

きっかけは娘の湿疹でした。小さかった頃、肌荒れがなかなか引かなかったのです。もしや食べさせているものに原因があるのではないか。わたしは調べ始めました。これが添加物との長いつき合いの始まりでした。

知識が恐怖に変わるとき

読む本、読む本、怖いことが書いてありました。コンビニの食品の裏を見れば、知らないカタカナが延々と並んでいます。スーパーの惣菜も市販のドレッシングも子どもが喜ぶ菓子も——。

少し調べると、これは食べないほうがいいという話がいくらでも出てくるのです。やがてわたし自身も体を壊して余計に必死になりました。食べられるものが日に日に減っていったのです。

ぜんぶやめてしまえば安全。この考え方は正しいようでいて、どこかちがいます。添加物の本に書かれていることは、おおむね事実なのでしょう。怖い話の多くもたぶん本当です。でも知識が恐怖に変わったとき、食卓は戦場になります。一口ごとに点検して裁く。食べることが楽しくなくなる。気づかないうちに何か大切なものが失われていく。

牛乳は体にええねんで

知識を手に入れると誰かに話したくなる。これは自然なことです。この食品にはこんなものが入っている、子どもには食べさせないほうがいい——。家族や友人にそんな話をしたくなる時期がありました。

もっとも聞かされる側は大抵、不機嫌になるか聞き流すか、そのどちらかです。たとえば帰省した折、母が骨粗しょう症だからと牛乳を毎日欠かさず飲んでいると聞きました。

ちょっと心配になってカルシウムパラドックスや乳糖不耐症の話をし、小魚を食べたほうがいいよと助言したら、斜め上を見上げたまま固まってしまいました。聞きたくない話になると、母はいつもそうなるのです。隣で聞いていた父がその数時間後、突然やってきて血走った目で「牛乳は体にええねんで」と言ってきました。父はいつもこちらが忘れた頃に反論してくるのです。正常性バイアスの標本みたいな人たちなのです。

ただその気持ちもわかるのです。若い頃のわたしなんてそれこそ好き放題に飲み食いしていました。大学時代はバイト仲間と夜な夜なハンバーガーチェーンや牛丼屋に入りびたっていました。そんなとき「その食べ物は危ない。やめたほうがいい」と言われても「うるさいな」としか思わなかったでしょう。

健康オタクという人たち

そうはいっても、いまのわたしはいわゆる健康オタクと呼ばれている人たちのことを煙たがる気にもなれません。多くは、好きこのんでそうなったわけではないと思うからです。

体がなんらかの問題を抱え、普通のやり方ではどうにもならなくなって、自分で調べるしかなくなった。そのうちくわしくなっていった。誰かに話したくなるのは、正しい知識を広めたいというより、自分のしていることを誰かに肯定してほしいからだと思うのです。わたしがそうだったように。

牛乳の話の翌日、母が「あんた、そんなふうやと毎日しんどいやろ」と憐れみの目を向けてきました。好きでやっているわけではないのにと、やるせない気持ちになったことをいまだに忘れられません。

拍子抜けするほど簡素な食卓

では添加物の徹底排除をめざしたわたしはどこへたどり着いたか。一汁三菜でした。ご飯に味噌汁とメインのおかず、そこへ梅干しやぬか漬け、旬の野菜が加わる。最終的に到着したのは、拍子抜けするほど簡素な食卓だったのです。

やりすぎといえる引き算の考え方から、本物の食材で作ったものをおいしくいただくという考え方に変わったとき、食卓は急に軽くなりました。「あれはだめ」「これも怖い」という後ろ向きの姿勢が、「これがうまい」「この食材は体が喜ぶ」という前向きの姿勢になりました。

それだけで、外食も怖くなくなったし、人と囲む食事がまた楽しくなりました。コンビニで何かを買ってもたまの例外だと割り切れる。罪悪感も消えました。

食卓の基本形を一汁三菜に決める

食卓が乱れたときは和食に立ち返ればいいと、わたしは考えています。派手ではありませんが、そのぶん体にやさしいし、僕らにはなじみ深いものですから、食べると心も落ち着きます。

食卓の基本形を一汁三菜と決めてしまえば、献立をいろいろと考える負担が減らせます。もちろんお子さんが口にする添加物もゼロになるか、そうでなくてもぐっと減る。

ご飯を炊いて、味噌汁を作って、漬け物を切る。すると、あと二品。うちはおかずをひとつ作り置きしています。ひじき煮や根菜の煮ものなどですが、これであと一品。最初は、メイン料理だけ出来合いのものにするということでもいいのではないでしょうか。そこから三日に一度、二日に一度と自分で作る頻度を上げていけば。

和食なら、何を作るかにもよりますが、料理のうまいへたはそんなに関係ないと思いますよ。魚を焼くだけ、煮るだけでも立派なメインのおかずになりますので。

あらためてまとめると——。

ひとつ、食卓の基本を持つ。一汁三菜を軸にしておけば、たまに外食しても出来合いの弁当や惣菜を食べても、それは例外と思えます。例外とわかっていれば、罪悪感は生まれません。

ふたつ、ゆるく選ぶ。添加物ゼロというのは、現代の食生活では現実的ではありません。ただ選択肢があるときは、少し良いものを選ぶこともできます。原材料表示を見て、中身がよりシンプルなものを選びましょう。

みっつ、外食や人との食事を楽しむ。食卓は栄養補給の場であると同時に、人とつながる場でもあります。「あの店は添加物が多そうだから行けない」では、失うものが大きすぎる。人とのつき合いまで億劫になってしまっては本末転倒ですよね。

あのときの母の固まった横顔を思い出すと、いまは少し申し訳なくなります。それとあの頃、スーパーの棚の前で立ちすくんでいた自分にこう言ってやりたい。

——そんなに怯えなくていい。本を閉じて、米を研いで、味噌汁を作れ。肩の荷はもう下ろしていいんだぞ。

はやま

添加物を知ることは、本当なら楽しいことではないかと思うのです。「これは危険ではないのか」という不安からでなく、「自分の好きなこれは何でできてるのか」「何を食べると体が喜ぶか」といった好奇心から、知識は深めていってほしいですね。「で、結局どの添加物に気をつければいいの?」と思われたなら、こちらの記事をどうぞ。本当に気をつけたいもの、それほど心配しなくていいものを簡潔に整理しました。買い物がちょっとだけ変わる、原材料表示の読み方もあわせてお伝えします。