「夫婦で子育ての方針が違う、疲れてきた」——哲学者三人に相談してみたら

夫婦

「うちの夫(妻)、まったくわかってない」

朝、子どもの朝ごはんをめぐって一言二言。夕方、宿題のやり方でまたひともめ。寝る前に、スマホの使用時間についてため息まじりのやりとり。

子育ての方針が夫婦でかみ合わないというのは、なにも特別な家庭の話ではありません。むしろ、二人の人間が「子どもをどう育てるか」についてまったく同じ考えを持っているほうが、よく考えれば不思議なくらいです。

でも、それがわかっていても疲れる。「正しい答え」を探して言い合いを続けるうちに、「なんのためにこんなことをしているんだろう」とぼんやり思ってしまう夜がある。

そこで今回は、少し違うアプローチをとってみます。ショーペンハウアー、ラッセル、ユング——。三人の哲学者に、この悩みをぶつけてみました。三者三様の答えが返ってきましたので、どれかひとつ、ピンとくるものを持ち帰ってください。

ショーペンハウアーの答え:「正解を探すのをやめなさい」

まず登場するのは、19世紀ドイツの哲学者、アルトゥール・ショーペンハウアー。「人生は苦である」という言葉を残し、生涯を通じて人間の苦しみと向き合い続けた人物です。口が悪く、隣人を階段から突き落として裁判沙汰になったこともある(実話です)。慰めは期待できませんが、妙に的を射たことを言ってくれそうな気はします。

彼はこう答えるでしょう。

「あなたたち夫婦が疲弊しているのは、方針が違うからではありません。『一致させよう』と執着しているからです」

ショーペンハウアーの最も有名な寓話に、「ヤマアラシのジレンマ」があります。寒い夜、暖め合おうとして近づくヤマアラシたちは、互いの針で傷つけ合ってしまう。かといって離れると寒い。試行錯誤の末、彼らがたどり着いたのは「互いに傷つかない、ちょうどいい距離」でした。

これは夫婦そのものです。

彼に言わせれば、人間はそれぞれ固有の「意志」を持って生まれており、その根本的な性質を議論によって変えることはほぼ不可能です。相手を「正しい考えに変えよう」と奮闘するのは、天気に向かって説教するようなもの。消耗するだけです。

それよりも大切なのは「この人はこういう性質の人間だ」と受け入れ、互いが傷つかない距離感を見つけること。完全な一致を目指すのをやめることが、彼の言う「苦痛の除去」——つまり、幸せへの近道なのです。

はやま

子育ての「正解」を一つに絞ろうとすればするほど、お互いのトゲが刺さってしまいます。今は正解を探すより、二人が傷つかない「ちょうどいい距離感」を探してみませんか。夫婦が笑っていられること——それがお子さんにとってはなによりです。

ラッセルの答え:「外を向きなさい」

次に登場するのは、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル。ノーベル文学賞を受賞し、数学・論理学・平和運動と八面六臂の活躍をした人物で、98歳まで生き、三度の離婚歴を持つというなかなかのエネルギー人間でもあります。

彼は著書『幸福論』の中で、不幸の最大の原因を「自己没頭」だと言いました。自分自身のことばかりに関心が向いている状態(罪悪感、プライド、自己嫌悪)、これらはすべて「自分」という狭い世界に閉じ込められている証拠だ、と。

では、子育て方針でぶつかり合っている夫婦に、彼はなんと言うでしょうか。

「あなたたちは今、『正しい教育』という内側のこだわりに縛られすぎています。目の前の生活を楽しむ情熱を、すっかり失ってしまっていませんか」

ラッセルは、幸福な人生に不可欠な要素として「情熱」を挙げました。これは特別なものではありません。食事をおいしいと感じる、自然を見て美しいと思う、子どもの笑顔に純粋に喜ぶ——そういう、世界に対する旺盛な好奇心のことです。

そして彼はこうも言います。教育の目的は、子どもの中に「世界への好奇心」を育むことだ、と。

つまり、方針の細かな違いで親が疲れ果て、家庭の空気が重くなること——これが子どもから好奇心を奪う最大の原因かもしれない。ラッセルに言わせれば、大人たちが目を輝かせて世界を楽しんでいる姿を見せること、それ自体がすでに最高の教育なのです。

はやま

方針の議論を一度だけ脇に置いて、家族で外の世界を一緒に楽しんでみませんか。山でも、料理でも、虫取りでも。親が夢中になっている姿を見た子どもは、それだけでたくさんのことを学びます。

ユングの答え:「実はあなたたち、役割分担できています」

三人目は、スイスの精神科医・分析心理学の創始者、カール・グスタフ・ユング。フロイトの弟子であり、後に決別して独自の心理学を打ち立てた人物です。「内向型・外向型」「元型(アーキタイプ)」「集合的無意識」など、今でもよく使われる概念を生み出しました。

ユングの答えは、三人の中でいちばん意外かもしれません。

「方針が違うことを、問題だと思っていませんか。でも、それは問題ではないかもしれませんよ」

ユングは、人が相手に強く反応するとき、そこには「投影」が起きていると言います。相手の中に見えているものは、実は自分の中にある何か、つまり自分が抑圧していた感情や、認めたくない性質が映し出されているのだと。

パートナーの「甘い」教育方針に強く反発するとき、あなたの中に「もっと自由にしてあげたい」という気持ちはないでしょうか。逆に相手の「厳しさ」にうんざりするとき、自分も本当はもう少しけじめをつけたいと思ってはいないでしょうか。

さらにユングは、子育てにおける夫婦の対立を「父性原理と母性原理のせめぎ合い」として捉えます。「切り分ける、ルールを教える、社会へ送り出す」という力と、「包み込む、無条件に受け入れる、存在をまるごと肯定する」という力。

どちらかが間違っているのではありません。子どもには、その両方が必要なのです。

夫婦で方針が違うということは、家庭という小さな宇宙の中で、その両方の力がちゃんと働いている証拠かもしれない。相手を「敵」と見なすのではなく、「自分とは違う役割を担ってくれているパートナー」として眺めてみる。そうすると、ぶつかり合いの意味が少しだけ変わって見えてきます。

はやま

方針が違うということは、お子さんを多角的に守れているということでもあります。「厳しさ」と「受容」、その両方があってはじめて子どもは世界のバランスを学んでいきます。相手を変えようとするより、「なぜ自分がこんなに反応するのか」をちょっと考えてみると、意外な発見があるかもしれませんよ。

最後に葉山から:三人の話を聞いたあと、台所へどうぞ

三者三様の答えが出ました。どれかひとつでも「そういう見方があるのか」と思ってもらえたなら、それで十分です。どれが正解ということはありません。大切なのは、あなた自身がどれを手にとるか。

さて、哲学の話はここまでにして、最後に台所の話をさせてください。

頭で考えすぎているとき、心がざわついているとき、私はいつも「まず体を整えること」が近道だとお話しします。食べるものは、気分や感情に直接つながっているからです。

ひとつ、試してみてほしいことがあります。

玄米を、ごま塩をかけてゆっくりよく噛んで食べてみてください。玄米は血糖値を穏やかに保ち、脳を安定させる力があります。そして噛む行為そのものが、脳の働きを正常に戻し、焦燥感や不安感をやわらげてくれます。

食後に、梅しょう番茶を一杯。梅干しとしょうゆとおろし生姜を少量、熱い番茶に溶かしたもので、日本の家庭に古くから伝わる「疲れたときの一杯」です。ストレスによる気力の減退や、じんわりとした心の疲れにじつによく効きます。

豪華な食事でなくていい。「ご飯、みそ汁、漬物、ごま塩」という質素な食卓に、お父さんとお母さんが向かい合って座っている——。それだけで、お子さんの心にはしっかりと何かが積みあがっていきます。

はやま

どっちの教育方針が正しいか決める前に、まず二人で温かい玄米ごはんを食べてみませんか。体が温まって、血がきれいになれば、さっきまで許せなかった相手の言葉が、少しだけ違って聞こえるかもしれません。