バリバリご飯——林間学校の飯盒炊飯で、うちの班だけ失敗した日

林間学校でカレー作り

飯盒炊飯というのは、実はそんなに難しいものではない。米と水を入れて、火にかけるだけ。林間学校で各班いっせいにやらせても、大抵の班はちゃんと炊き上がる。硬めに仕上がることはあっても、食えないものはまず生まれない。

まず生まれないはずのものを、うちの班は生んだ。

小学生の頃の林間学校。飯盒炊飯とカレー作り。班ごとにかまどが割り当てられ、米係、火係、カレー係と役割が決められる。この分担がうちの班だけ開始三分で崩壊した。

まず火係に人気が集中した。当然だろう。堂々と火遊びができる公認の機会など、小学生の人生にそうはない。男子はほぼ全員が火係を希望し、じゃんけんに敗れた者たちがふてくされながら米を研いだ。この時点で、米の運命は半分決まっていた。

米係の仕事は雑だった。研ぎ方を誰も知らない。誰かが「お母さんは三回って言うてた」と言い、別の誰かが「うちは十回」と言い、あいだを取って六回ほどかき回して終わった。水加減にいたっては、全員の説がちがった。

指の第一関節まで。手のひらを乗せる。米と同じ高さ。議論のすえ、班長が「多めなら安全」という謎の理論で水をどぼどぼ足した。安全ではなかった。

一方その頃、火係は絶好調だった。彼らの目的は炊飯ではない。火力である。薪をくべる。燃える。もっとくべる。もっと燃える。よその班のかまどが行儀よくちろちろと燃えている横で、うちのかまどだけが小型の製鉄所と化し、飯盒は炎に呑まれて姿が見えなくなった。

見回りの先生が「火、強すぎへんか」と聞き、火係は「大丈夫でっす」と答えた。何の根拠もない「大丈夫でっす」ほど、大丈夫でないものはない。

飯盒炊飯には、あの有名な戒めがある。始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな。この「ふた取るな」を、うちの班は守れなかった。中が見たい。見たくてたまらない。誰かが我慢できずにふたを開け、「うわ、なんか泡出てる」と実況し、慌てて閉める。開けるたびに蒸気が逃げる。米にとっては災難でしかない。

やがて、よその班から白い湯気と炊きたてご飯の匂いが立ちのぼりはじめた。歓声が上がる。ふっくらした飯が茶碗に盛られていく。うちの班の飯盒からは、香ばしいを三周ほど通り越したにおいがしていた。

ふたを開けた。上半分は芯の残ったガチガチの米。底は真っ黒。真ん中のわずかな地層だけが、かろうじてご飯と呼べる状態。地質学の標本のようだった。器に移すとき、米がバリバリと音を立てた。米がそんな音を立ててはいけない。

カレーはカレーで、じゃがいもが煮えていないのにルーだけ煮詰まるという離れ業を披露していた。周囲は成功、うちだけ大惨事。先生は笑いをこらえ、隣の班は露骨に笑っていた。

ところがである。

全員が「うまい」と言ったのだ。

誰も見栄では言っていなかった。ガチガチの米にどろどろのカレーをかけて、みんな普通におかわりをしていた。真っ黒な部分は正直、苦かった。それでもカレーをたっぷりかければなんとか食える。

誰かが「福神漬けと一緒に噛んだら硬いのも苦いのもようわからんようになる」と言い出し、全員が採用した。まずいものを食える形に持っていく作業がなぜか楽しかった。

見かねた隣の班が、まともなカレーライスを一皿分、分けてくれた。一口ずつ食べて、僕らは顔を見合わせた。うまい。でも普通なのだ。それから僕らはまた、黙って自分の皿のカレーを口に運んだ。

まずいものをあんなに一生懸命食べたことはない。あれはいったい何だったのか。

半日動き回った空腹。目に染みた煙。じゃんけんに負けて研いだ米。「大丈夫でっす」の火力。ふたを開けては閉めた、あの落ち着きのなさ。つまり、そこまでの時間のぜんぶがあの一皿に乗っていた。

料理の値打ちは舌の上だけで決まるのではない。何を、どこで、誰と、どうやって作って食べたか。その全体が味なのだ。隣の班の一皿が普通だったのは、味のせいではない。僕らの時間が乗っていない米だったからだ。

もうひとつ、長い時間を経て気づいたことがある。ちゃんと炊けた班の連中は、たぶんあの日の飯を覚えていない。成功体験は思い出にならない。失敗だけが、何十年経っても班の全員の中で炊きたてのままである。

大人になって、ずいぶんましな料理を作るようになった。火加減を覚え、水加減を覚え、米が音を立てることもなくなった。それでも夜の台所で土鍋の飯を炊き、底に張りついた茶色いおこげをへらで剥がすとき、あの黒焦げの米を思い出すことがある。

めったに失敗できないことを盛大に失敗する。その一度きりの授業を、僕の舌はまだ覚えている。