心が海になるまで——一か月断食で見た凪

断食する男

七日間の断食から数年後の話である。あの雷鳴と宿便の一件で、僕はすっかり味をしめていた。

そんな頃、ある俳優が一か月の「不食」をやってのけたというニュースを目にした。一か月後の写真を見ると、痩せてはいるが顔色はいい。目に力がある。一日一杯の青汁だけで何年も暮らしている人の本を読んだこともあった。昔の仙人や行者は霞を食って生きたという。人間は、食べなくても生きられるのだろうか。

やってみたくなった。水だけで、一か月。

二週間で、心に凪が訪れた

序盤の経過は、七日間のときと同じである。体がナマケモノになり、排便が止まり、家族の夕飯のにおいが敵になる。ただ、般若心経の出番は前回より早く終わった。二週間を過ぎる頃、気がつくとあれほど強かった食欲と飢餓感がほとんど消えていたのである。

代わりに訪れたのは、凪であった。

いらいらしない。不安にならない。心にさざ波ひとつ立たない。ベランダに出て日光を浴びているだけで晴れやかな気分になり、太陽とその下に広がる世界に自然と頭が下がった。

生かされている、という感覚は以前から知っていた。それが心と体の底からふつふつと湧いてくる。毎朝、太陽に向かって、神さま、ありがとうございます、とつぶやいていた。

昔、漫画で即身仏を見たことがある。座したまま、安らかな顔で息を引き取っている行者の姿である。あんな顔で死ねる人間がいるものかと思っていたが、その凪の中ではわかる気がした。

行者が古来、断食を修行の柱に据えてきたわけが、頭でなくて体でわかった。食べるから、心が乱れるのだ。食べるとは異物を体に取り込むことで、体と心がひとつである以上、取り込むたびに心も揺れる。動物の肉を食せば、その動物が最期に感じたものまで一緒に入ってくるのだろう——。あのときの僕はそこまで得心していた。断食は、悟りへの近道なのである。

ただし続きがある。その近道は崖と隣り合わせなのだ。

三週間後、洗面所で意識を失う

三週間が過ぎると、食べたいという気持ちは一切なくなっていた。代わりに体が動かなくなっていった。風呂ではもう立っていられず、椅子に座って、時間をかけて頭と体を洗った。心は晴れわたったまま、体だけが静かに店じまいを始めていた。

ある日、洗面所で気を失った。

どん。

衝撃で我に返ると、視界が横倒しになっていた。右の側頭部の下で何かがゴリゴリしていた。手をやると、プラスチックの石けん箱だった。手がぬるりとした。見ると真っ赤だった。石けん箱の角で、頭をざっくりと切っていた。

やばいな、と口に出して言った。言いながら、なぜか少し笑っていた。血はたっぷり出ているのに、痛みはほとんどない。倒れて血を流している男を、天井のあたりからもう一人の自分が静かに見下ろしていた。自分の体が自分のものだという感覚が、潮が引くように遠ざかっていた。心は海のように大きく、海は岸辺で何が起きても騒がない。

深夜二時、ふたたび意識消失

数日後——。

ちょうど一か月になる頃だ。深夜トイレに立ち、用を済ませて部屋に戻ったところで、今度は爆音とともに目が覚めた。部屋の入り口付近で倒れていた。気を失って落下する体は受け身を取らない。百七十センチ以上の高さを、僕は顔面から自由落下したのだ。

右目の上がぱっくりと裂け、血があふれ、額がみるみる赤黒く腫れていく。妻が飛び起きて「大丈夫!」と駆け寄ってきた。傷を見て青ざめた。

僕はまったく動揺していなかった。

「あいたたた」さすがに今度は少し痛かった。「血がたくさん出てるな。これはひどい」他人事のように言い、おろおろする妻に言った。

「でも大丈夫だよ。こないだもやった。ほら、二回目」

そう言って、側頭部の傷を見せた。深夜二時の廊下で、血だらけのまま、静かに微笑んでいる。妻の目に映ったその姿をいまになって想像すると少しぞっとする。心は完璧に平和だった。平和すぎたのだ。体はとうに限界を迎えていたのに、凪いだ心はそれを対岸の火事のように眺めていた。

「もうやめて」

その妻の声はこちら側の岸に届いた。素直に応じた。海のように大きくなった心には、逆らう理由がひとつも見つからなかったのだ。

回復食は慎重に

回復食は、今度ばかりは神妙にやろうと決めた。一日目は重湯。二日目はおかゆと梅干しと具なしの味噌汁。三日目——。やっぱり魚を食べていた。人間の心は海になっても、食欲は魚のままということらしい。

あの一か月の凪が何だったのか、僕にはいまもわからない。悟りの入り口だったのか、飢えた体が見せた静けさだったのか。その両方だったのかもしれない。

ただ、行者たちが断食の先に何を見ようとしたのかは、体で理解した気がする。同時に、彼らの何人かがそのまま帰ってこなかった理由も理解した。片道切符になり得る道なのだ。僕は妻の声という切符で、帰ってこられた。

側頭部には髪に隠れて小さな禿げが残り、右目の上には目を凝らせばうっすらとわかる程度の線が残っている。あの一か月が体に残した署名はそれだけだ。

もうひとつ残ったものがあるとすれば、普通の暮らしに戻って何年か経ついまも、ベランダで太陽を見上げると、あの凪の端にふっと指が触れる。

——神さま、ありがとうございます。

あの言葉だけは、いまも勝手に口をついて出ることがある。

 

これは断食を勧めるための記録ではない。

  • のちに知ったのだが、冒頭の俳優は医師の管理下で、血液検査を受けながらの「不食」だった。飴や砂糖入りのコーヒーも口にしていたという。僕は自宅で一人で水だけでやった。数年経ったいまなら言える。無謀だった。
  • 一か月の絶食のあとにいきなり食べ始めると、心不全や呼吸不全、不整脈、肝機能障害などを起こし、最悪の場合は死にいたることもあるという。リフィーディング症候群という。三日目の魚も無謀だった。
  • 長期の断食で起きる失神は、打ちどころが悪ければ命にかかわる。実際、僕は二度、意識を失って倒れている。
  • 断食を検討する場合、専門家の指導と医師への相談を。持病のある人、妊娠中の人、薬を服用中の人はなおのこと。