数字から目を離す——栄養計算をやめた僕が、次に縛られたもの

楽しく食べる男性

体を壊して寝込んでいた数年間、僕は数字に取り憑かれていた。

一日に必要なたんぱく質は何グラム、ビタミンCは何ミリグラム、カロリーは足りているか。栄養成分表とにらめっこをしては、足りない欄を埋めるように食べ物を口へ運んだ。

手を出した食事法もいくつもある。どれも「これさえ守れば」という顔で、僕に細かな数字とルールを差し出してきた。真面目にやるほど、体はいっこうにらくにならず、心のほうが先に痩せていった。

足りていない日のほうが、調子が良かった

そんな頃に出会ったのが甲田光雄という医師の考え方だった。断食と少食の研究と実践で知られた人で、その主張は明快だった。現代栄養学が推奨するカロリーや栄養素の量は机上で計算された数字であって、人間の体の仕組みに沿ったものではない。体にいいものをたくさん食べるほどいいというのはまちがっている。どれほど良質な栄養素でも、食べすぎれば毒になる——。同じことを、断食指導で知られる石原結實医師も繰り返し説いている。腹を空かせることと内臓を休ませること。そこに体が立ち直る力が眠っていると。

この考え方は、数字に追い詰められていた僕をずいぶんらくにしてくれた。確かに数字の上では足りているはずの日ほど体は重く、足りていない日のほうが調子が良かった。足りているかと怯えながら食べるより、少し足りないくらいのほうが僕の体は機嫌が良かった。近頃は、空腹の時間が体の修復を促すことも知られてきた。

鎖をほどいて、別の鎖を巻く

ただここにひとつ落とし穴がある。現代栄養学の数字はあてにならないと知った人間はしばしば、今度は少食こそ正しいという別の戒律に乗り換えてしまうのだ。

一日一食を死守し、それを超えたら不健康だと、また新しい数字に怯え始める。かつての僕がそうだった。栄養計算の鎖をほどいたつもりが、いつの間にか少食という鎖を自分の手で巻き直していた。

甲田氏や石原氏の教えを金科玉条にすれば、栄養成分表を崇めていたのと結局は同じことだろう。どれほど正しい考え方も、固執して厳格にやりすぎれば心が痩せる。体にうまく収まってくれない。

そもそも一日の必要摂取量という数字は、健康な成人が平均的な暮らしをする際の目安として作られたものだ。特定の誰かの、今日の体調のために用意された数字ではない。足りる足りないで一喜一憂するより、自分の体に直接たずねたほうがいい。今日は疲れているか。軽いか。食べたあと気持ちがいいか、重いか。眠りは浅いか、深いか。数字より、よほど正直なことを教えてくれる。

足すより先に整える

足すより先に整える。たくさん食べることでも、完璧な数字をそろえることでも、ひたすら減らすことでもない。おいしいと感じられる心と、それを受け取れる腸を先に整えておく。順番さえまちがえなければ、同じ一杯の味噌汁がずいぶんちがう働きをしてくれる。

栄養表も断食の本もまとめてそっと書棚の高いところに置いた。僕は今日のぶんの「おいしい」を、まず数えることにしている。