世界が広がる、基本のスパイスとハーブの使い方

スパイスとハーブの小瓶

引き算の暮らしというのは、要するに「これ、なくても生きていけるな」をひとつずつ確かめていく作業だ。

三つあったマグカップをひとつにし、着ていない服に別れを告げ、いつか読むと思っていた本をもう読まないと認める。そうやって暮らしを軽くしていくと、不思議なもので残ったものがやけに愛おしくなる。

ところが、この禁欲的な引き算生活のなかでただ一か所だけ、堂々と足し算をしていい領域がある。スパイスとハーブの棚だ。

なにしろ彼らは小瓶である。棚の場所を取らない。日持ちする。一振りで、昨日と同じ鶏肉をまったく別の国の料理に変えてしまう。ものを増やさずに世界を増やせる——。これ以上ミニマリスト向きの贅沢もないと思う。

この記事に書いていること

スパイスの棚

さて、我が家の棚を見渡してみると、ターメリック、クミン、コリアンダー……。ここで気づいた。完全にカレーの布陣だ。カレー粉があるのにその中身まで個別に常備しているのだから、料理のためというより道楽に近い。同じような偏りに心当たりのある人のために、少し調べて棚を客観視してみた。

まず土台として世界の大抵の台所にあるのが、黒胡椒とクミン。ここは我が家、合格。問題はその先だ。カレー一辺倒の棚に足すなら、僕はパプリカとシナモンを推したい。

パプリカは辛くない。あの赤は辛さではなく甘みと香ばしさで、肉に振れば見た目から食欲をそそる、いわば料理のチークである。シナモンは「お菓子の人」と思われがちだが、実は肉の煮込みに一振りすると奥行きが出る。モロッコあたりでは平然と肉料理に入っている。甘い顔をして塩の世界にも通用する二刀流の器用者だ。

ターメリックは色と土の香りが魅力だけれど、入れすぎると全部が「なんとなくカレー」になる。強い個性ほど慎ましく。人間関係もだいたいそうだ。

ハーブの棚

オレガノ、パクチー、ローリエ、ローズマリー……。これはこれで良い布陣だ。オレガノはイタリアンの要、ローズマリーは長時間の加熱に負けない頑固者で、羊肉やパン生地とよく合う。ローリエは煮込みにそっと沈めておくだけで、鍋全体の輪郭がしゃんとする。

ただ、ここにも小さな穴があった。タイムがいない。タイムは乾燥ハーブの優等生だ。フレンチからカリブ料理まで、どこへ出しても悪目立ちしない万能選手である。ローズマリーが「主張する人」なら、タイムは「場をまとめる人」。一本あると献立の自由度がぐっと上がる。もう一枠あるなら乾燥バジルも見逃せない。トマトソースやスープに入れるだけで、家の鍋が急にイタリアの顔をする。

ちなみに乾燥ハーブの使い方には小さなコツがある。彼らは香りを閉じ込めて眠っているので、時間と熱でようやく目を覚ます。だから仕上げにパラリではなく、油やにんにくと一緒に料理の最初のほうで起こしてやるといい。逆にパクチーのような生の葉は乾かすと魂が抜ける。あれは最後に生きたまま乗せる係だ。

うちにも乾燥パクチーがあるが、風味に乏しくてほとんど出番がない。生の葉がなかなか手に入らないから仕方なく買ったのだが、あれは失敗だった。

あらためて眺めると、スパイスとハーブの棚は引き算の暮らしのなかのささやかな逆説だ。持ち物を減らすほど、この小瓶たちの出番が増える。何もない台所に立って、今日はどの国へ行こうかと小瓶を選ぶ。荷物は増えないのに、行き先だけが増えていく。

足し算するのはたぶん、そういうものだけでいい。