玄米食を始めると、いろんな疑問が湧いてくる。
浸水時間はどれくらいがいいのか。発芽させたほうが体にいいのか。土鍋で炊くべきなのか。アブシジン酸は本当に気にしたほうがいいのか。台所に立つと、人はどうしてこんなにも正しさを求めてしまうのだろう。
この記事に書いていること
玄米に振り回されていた「玄米迷子」時代
僕も最初の頃は、玄米の扱い方を調べてはうろうろしていた。
農薬はぬかに蓄積する。だから無農薬がいいと聞きつけ、有機栽培の玄米を調達していた時期がある。
浸水は八時間がいいと聞いて、寝る前にあわててボウルを出し、十二時間がいいと聞けば、朝の台所で「しまった」とつぶやく。
発芽玄米が体にいいと聞けば、スーパーで立ち止まって値札を確認し、圧力鍋がいいと聞けば、棚の奥で眠っていた鍋を引っ張り出す。台所というのは、情報に振り回される場所でもある。
だが、玄米を続けているうちにひとつ確かなことがわかった。玄米は、正しさより相性で続く食べ物だということだ。
たとえば浸水時間。長ければ長いほど良いという説もあれば、浸水なんかしなくていいという人もいる。何度か試してみて、僕は六時間くらいがいちばん気分よく炊けると感じた。理由はとくにない。ただそのくらいが我が家の台所のリズムに合うからだ。浸水を忘れても気にしない。いつもより水の量と炊飯時間を長くすれば済む話だ。
アブシジン酸についても最初は気になっていたが、乾煎りをやめても体調は変わらなかった。科学的な議論は専門家に任せるとして、僕は台所で「細かいことは気にしない」というスタンスを貫くようになった。
正しさより相性。台所はその家の都合で回っていく
玄米食をはじめとする食養を意識した食卓作りを心がけていると、正しさの迷路に何度も迷い込む。でも迷うたびに思う。
——台所は理屈ではなく、その家の都合で回っていく。
玄米が硬いと感じる日もあれば、妙においしく感じる日もある。浸水を忘れて慌てて炊いた米が、なぜか家族に好評だったこともある。硬いときは、少し水を足して再加熱するとやわらかくなる。玄米は案外やさしい。台所とは、そんなふうに揺らぎのある場所なのだ。
だから、玄米をどう扱うかという問いに対して、僕がいま言えることはひとつだけだ。
——自分の台所に合うやり方が、いちばん正しい。
浸水を長めにしてもいいし、短くてもいい。圧力鍋でも土鍋でも炊飯器でもいい。無農薬玄米や発芽玄米を選んでもいいし、選ばなくてもいい。乾煎りをしてもいいし、しなくてもいい。
玄米は、こちらの都合に合わせてくれる食べ物だ。だからこそ、暮らしの中に静かになじんでいく。
気がつけば、玄米を扱う手つきが日々のリズムの一部になっていた。玄米と暮らすということは、正しさを探すことではなく、自分たちの暮らしのリズムを見つけることなのだ。
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