30代の頃、取材で「神道」という日本古来の宗教の存在を知った。
その神道を代々継承してきたのが、僕らにとって身近な存在である神社だ。神社は、八百万の神さまたちとの交流の場であり、古くから村落の祭りの中心として、人々の魂が交流する場でもあった。
全国に約8万社あるそんな神社の頂点が伊勢神宮だと知り、僕はどうしても行ってみたくなった。行ったことがなかったからだ。
伊勢神宮は、古くから日本人の心のふるさととして、「お伊勢さん」と呼ばれ、親しまれてきた。神道においても特別な聖地である。単に「神宮」という場合、この伊勢神宮のみを指す。
一人で行くのも寂しいからと、春休みで暇を持て余している娘に声をかけた。調べたら、東京から高速道路で5時間と少しのようだ。
むろん妻は留守番である。フルタイムで働く会社員は、いきなり4日間も休めない。自由業であることを神さまに感謝した。
これは僕を含む日本人のルーツをたどる旅路である。
はやま
この記事に書いていること
1日目:国道1号線から東名
車で地道を走るのが好きだ。高速道路は確かに便利だが、土地土地に暮らす人々の息づかいや生活感が感じられない。生活空間の上を一気に走り抜けてしまう。
東京から地道をひた走り、国道134号線へ。江の島を左手に臨みつつ、国道1号線へと合流。気持ちがいい。しばらく走って、静岡のコンビニで朝食を調達した。ゆっくり食べて、東名高速道路に乗った。
この時点ですでに6時間以上が経過。高速を使えば、もう伊勢だった。そう思うとちょっぴり後悔する。なにしろ僕は夕べ、一睡もしていない。出発は5時前。3時出発予定だったが、娘がもたついていたため、その時間になってしまったのだ。

伊勢のホテルに着いたらもう夕方だった。ホテルの近くの店で、伊勢志摩の海の幸、松坂牛に舌鼓を打った。地酒も少々いただいた。沁みた。そのあとの記憶がまるでない。
2日目:外宮と内宮
伊勢神宮は、大きく分けて内宮と外宮、計125の社宮で構成されている。お伊勢参りでは、まず外宮、ついで内宮というのが古くからの習わしだ。これを「外宮先拝」と呼ぶ。
外宮の正式名称は「豊受大神宮」。天照大神の食事をつかさどる豊受大神を祀っている。内宮ができてから500年後に現在の土地「山田原」に創建されたという。ちなみに豊受大神は、衣食住などすべての産業の守り神である。
内宮では、皇室の御先祖である天照大神を祀る。天照大神は、日本に住む八百万の神々の頂点に立つ神さまだ。内宮にはさらに三種の神器のひとつである「八咫鏡」が御神体として奉安されている。
内宮は、五十鈴川の川上で1500年(創建時期については諸説ある)ものあいだ、古代のたたずまいを守り続けている。つまり1500年前の人たちと同じ景色を僕らは見ていることになる。そう考えると感慨深い。
午前中に外宮
2日目、朝から外宮へ向かった。
空気は凛と冷たく、自然と背筋が伸びていく。

鳥居を抜け、早朝のすがすがしい照葉樹林の中を歩いていく。

森閑とした鎮守の森を抜けて行くと、外宮の中心である正宮が見えてくる。
二拝二拍手一拝で参拝。「拝」は、腰を90度に深く折ってお辞儀。「拍手」は両手を合わせ、右手を少し下にずらして2回打つ。

続いて、風の神さまをおまつりする別宮「風宮」へ向かった。

最近は本屋でも神道のコーナーができていたりする。ブームの影響もあるのか、今日も多くの参拝客が列をなしていた。

目をつぶり、ご神木に両手をついて何やら熱心にお願いをする女性の姿が印象的だった。近くには、大土乃御祖神を祀る「土宮」もあったが、そちらは撮影禁止につき写真はない。

売店の巫女さんのツンとした態度に、娘がちょっと動揺していた。神職だから? 格式と伝統の重み? 神社の頂点で働いているという矜持? わからないけれど、地元の神主さんはいつもにこやかだ。せめて子どもには、もう少しだけやわらかく接してくれたらいいのになあと思った。
午後は内宮
外宮をあとに内宮へ向かった。
かつて天皇以外による私的な内宮参拝を禁じていた時期もあるという。だが鎌倉時代後期から庶民のあいだにも信仰が広まり、江戸時代には「おかげ参り」や「伊勢講」と呼ばれる集団参拝が空前のブームとなった。
いまでも、家庭の神棚に祀るお札(神宮大麻)は、伊勢神宮から全国に配られている。
参道の入口あたりに車を停め、長い表参道をぶらぶら歩いて行くことにした。

伊勢参りで有名なスポット「おかげ横丁」は表参道沿いにある。さまざまな店が軒を連ねている。江戸時代末期から明治時代初期の鳥居前町の町並みを再現しているらしい。

飲食店、スイーツや洋菓子、B級グルメの店、おみやげ屋、宝くじ売り場、射的、資料館といろいろある。娘はスイーツ店にロックオン
江戸時代、「一生に一度はお伊勢さん」と、伊勢参拝が一大ブームを巻き起こした。おかげ横丁には、約50の店が集い、「おかげ参り」時代の伊勢路の趣を再現している。

おかげ横丁には飲食店も多く、いい匂いが漂っている。お腹が鳴ったので、内宮参拝前に腹ごしらえをすることにした。伊勢名物の伊勢うどんをいただくことに。
店では、丼ものとのセットを注文。娘はおかげ横丁でイチゴパフェを食べたので、昼は出汁茶漬けで軽く済ませると言う。注文を取りに来た中年女性が下がったあと、娘がこっそりと耳打ちしてきた。
「あのおばさん、怖かったね。伊勢の女の人ってみんな怖いのかな」
外宮の巫女さんのことをまだ根に持っている様子である。ただ関西の接客はどこも愛想がいいので、僕も「ん」とは思っていた。ここは一見の観光客相手の商売であるし、ほうっておいても客はどんどんやってくる。愛想を振りまく必要はないのかもしれない。
「さっきのイチゴパフェ屋のおばさんはやさしかったじゃない。たまたまだよ」
「あ、そっか、そうだね」

店を出て、内宮に向かう。
するとその手前にまたもや誘惑が待ち構えていた。

関西にいた頃は、赤福餅を土産にもらうことがよくあった。「えじゃないか」のリフレインが頭をよぎる。藤田まことさんが歌う、赤福のCMソングだ。僕と同世代かそれ以上の関西人ならみんな知っている。
このとき僕の頭の中で、何かがカチカチ言い始めた。
——あれ? 小学生の頃、赤福を買ったことがある気がする。

赤福本店の奥には喫茶スペースがあり、赤福餅が味わえるようになっている。ほうじ茶つき。有機栽培で育てられた、三重県産の伊勢茶だとか。冬場はぜんざいも楽しめる。

日本人の底に流れる自然観——神道の思想では、自然界のあらゆるものに神が宿ると考える。八百万の神さまの世界観だ。自然の神——山、川、海、木、岩といった自然物や、雷や台風などの自然現象を神として敬いながら、さらに祖先神—— ご先祖も神さまとなって、家や地域を見守る守護神になると考える。
その特徴は、「人間中心の宗教」だと言えるのではないだろうか。厳しい戒律で人間を縛るのではなく、周囲の人々への気配りや良好な人間関係を築くことを第一義とする——。
そんなことを考えていたら、内宮への玄関口となる鳥居が見えてきた。実に立派である。

ついさっきまで完全に観光気分だったが、ここにきて神妙な気持ちが盛りあがってくる。神妙なのか盛りあがっているのかどっち? 両方である。
鳥居の前で一礼して渡り始める。
橋を渡りながら、娘に講釈を垂れることにした。10歳の子どもにはいささか退屈な話かもしれないけれど、せっかく伊勢に来ているのだから——。
トイレ掃除で美人になる話
「ママが前にトイレには神さまがいるって言って、毎日きれいにしてるよね」
「うん」
「昔からトイレは禊や祓えと言って、きれいにすべき場所と考えられてきたんだ。そういう場所を清めることは自分の心を清めることにつながる。だからトイレを一生懸命掃除すれば、心は清らかになるし、容姿も美しくなると」
「じゃあ、トイレ掃除したら私もママみたいに美人になれるかな」
「いまのままでも十分かわいいけど、もっとかわいくなるかもね」
「でもなあ……。私、パパにそっくりだもん。これからママ似になるなんてことあるのかな」
「……こ、子どもは成長していく中で、両親のどっちにも似る時期があると言うよ」
笑って答えながら、僕は内心、傷ついていた。話を変えることにした。
台所の言霊の話
「言葉に力が宿るという言霊の話をしたことがあるよね」
「うん」
「言葉には口にしたことを現実にする力がある。でも嘘ばかりついているとその力を失ってしまう。面白いのは、食べ物の名前にもそういう考え方が表われているということでね。たとえば『するめ』を『あたりめ』と言う。あれは『する』という言葉に『お金を失う』という悪い意味もあるから、縁起の良い『当たる』という言葉に言い換えて『あたりめ』となったんだ。『梨』を『有りの実』と呼ぶのも同じ。そういう日常のちょっとした言葉遣いの中に、家族の幸せを願う昔の人の思いと、神道の知恵が隠れていたりする」
「へえ。面白いね、他にもある?」
娘が食いついた。僕は心のなかで小さくガッツポーズを決めた。ネタを仕込んできた甲斐があった。

この橋を渡ることは、日常の世界から聖なる世界へ足を踏み入れるという儀式的な意味合いもある。北野武さんも以前、正宮の前で「頭が真っ白になった」と語っていた。
平安時代の歌人、西行法師は内宮を参拝した際、こんな歌を詠んだと伝わる。
——なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
この歌は、五十鈴川や神域の気高い空気に触れたとき、僕ら日本人が受ける感動や素朴な信仰心のありようを象徴していると思う。
宇治橋を渡ってしばらく歩くと、参拝前に心身を清める場所がある。清流で知られる五十鈴川だ。そのほとりで参拝客は手を洗い、口をすすぐ。
そのときだった。記憶がよみがえったのは——。
——ここ、やっぱり来たことがある。
そうなのだ。小学校の修学旅行で来ていたのである。いままで完全に忘れていた。翌日に訪れた奈良の大仏の印象が強く、伊勢参りのことはすっかり記憶から飛んでいたようだ。

神道のもっとも重要な概念のひとつに、「穢れ」と「祓え」——清潔さを尊ぶ精神というものがある。
穢れとは、生命力が枯渇した状態、あるいは罪や不浄な状態を指しており、忌み嫌われる。祓えは、水で身を清めたり儀式を行なったりして、穢れを祓い、本来の清らかな状態に戻すことを言う。
神社に参拝する際に手水舎で手を洗うのも、祓えを簡略化したものだ。
僕らは川のそばにしゃがみ込み、しつこいくらいによく手を洗った。都会に暮らしていると、穢れにまみれているような気がしないでもない。
ここから少し歩くと、内宮の本殿である正宮に着く。天照大神を祀る場所だ。つまり神さまが人間の世界に顕れた状態である。
——すぐ目の前に天照大神がいらっしゃる。
そう言ったら、娘が階段を駆け上がって行った。階段の上でこちらを振り返って首を振る。
「何も見えないよ!」
正宮の中心にある正殿は、四重の垣根に囲まれていて、本当に何も見えなかった。

内宮には他にも子安神社や風日祈宮などのお社があるが、そちらには寄らず、神楽殿でお守りなどを買い、駐車場へと戻った。娘が疲れた顔をしていたからだ。

参道を抜け、人混みから解放されたあたりで、娘がへたり込んでしまった。

この日の予定はこれで終了。明日は志摩スペイン村のパルケエスパーニャである。
そんなわけで、僕らは車に乗り込み、志摩スペイン村のホテルへ向かった。チェックインして驚いたのは、そのホテルで閑古鳥が十羽くらい騒がしく鳴いていたこと。宿泊プランに素泊まりしかなかったのも納得だ。
夕食には三河産のうなぎをいただいたのだが、これが飛び上がるほどうまかった。東京で暮らすようになって知ったのだが、関東のうなぎはふわふわしている。焼く前に蒸すからだ。
関西では蒸さない。最初から最後まで炭火で焼くだけ。だから身が引き締まる。歯ごたえがある。香ばしい。正直言って、関東のものよりはるかにうまい。もちろん好みの問題ではあるが、関東で生まれ育った妻も同意見だ。僕の実家でうなぎを食べたとき、驚嘆していた。うなぎってこんなにおいしかったのかと。
三日目:志摩スペイン村(パルケエスパーニャ)
娘が心待ちにしていた、志摩スペイン村のテーマパーク「パルケエスパーニャ」にやってきた。お伊勢参りだけで、父の旅行につき合ってくれるわけがない。これを餌に、あそこにいるピンクのジャンパーを釣りあげたのである。

驚いたのは、がらがらだったこと。駐車場もすかすかだった。最近はこの頃(2019年)とは打って変わって、かなりの盛況ぶりで、休日は大混雑しているらしい。

僕もここには初めて来たのだが、とにかく広い。土地を贅沢に使っている。ただ、そう感じたのは空いていたことも大きいだろう。
娘に促されるまま、ウォーターライドやシアター系のアトラクションなどをいろいろ楽しんだあと、たどり着いたのは円形劇場のような建物でのショーだ。座って一息つく。

それからまた児童向けコースターに乗ったり、レーザー銃で標的を倒していく屋内型アトラクション、3Dシアター、メリーゴーランド、水上クルーズ……。とにかくパーク内を隅から隅まで歩き回った。
ただし娘は絶叫系にだけはそっぽを向いていた。僕も歳を取ってから高所恐怖症ぎみなので、ちょうど良かった。昔はあれほど絶叫マシンが好きだったのに妙なものである。
散歩道を歩いていると、どこからか童話を読む声が聞こえてきた。

「オオカミと3匹の子ヤギ」「キツネがつくった王様のおふれ」「働き者のガチョウと怠け者のキツネ」「月をチーズだと思ったオオカミ」、この4つの童話を聞きながら散策できるようになっている。
スペインの物語だろうか。初めて聞く話だからか、娘は熱心に聞いていた。
このあと、さらに3Dトリックアートを体験できる屋内施設へ。その様子がこれ——。

花壇ではビビッドなチューリップが満開だった。都会にあるテーマパークや遊園地とちがって、パルケエスパーニャは志摩の大自然の真っただ中にある。だからどこまでも伸びやか。来場者が少ないことも手伝い、疲れない。癒やされる。

メインの広場に戻ると、パレードが始まっていた。子どもはこういうものを熱心に見る。娘も最後まで飽きずに見ていた。

パレードが終わったので、「そろそろ帰るか」と言うと、娘は首を振って、なにやら意志を持ったように歩き出した。ついていくと——。
そこにはパルケエスパーニャが誇る絶叫マシン「ピレネー」がそびえ立っていた。
「乗りたいの?」そう聞くと、娘は僕をじっと見つめる。まさかね。「見るだけか?」と聞くと、「うん。見たい。パパが乗ってるところを」と不敵な笑みを浮かべるではないか。僕が高所恐怖症だと娘は知っていて、挑戦状を叩きつけている。
挑発になど乗るものかと思ったが、僕も20代の頃は絶叫マシンで慣らした男。関西圏の絶叫マシンは根こそぎにした。それに正直言うと、せっかくここまで来たのだから、話の種に乗っておくべきではないか、という葛藤も人知れずあったのだ。
しばらくフェンスの前に立ち、彼方の山並みを見るふりをしながら心を決めた。
「わかった」
そう言い残し、肩で風を切って乗り場へと向かう。

最初の登りで、すでに吐きそうになった。いや、実際に何度もえずいた。
45メートルの高さまでコースターはガタガタと揺れながら登っていく。その間、志摩の海に浮かぶ島々と入り組んだリアス式海岸の絶景が全方位のパノラマで堪能できるのであるが、見ている余裕などなかった。
その後、コースターは急降下。荒波にもてあそばれる木の葉のように、僕は放心状態でなすがままであった。
青ざめた顔で降りてきた父を見て、娘が駆け寄ってきた。「だ、大丈夫?」心配そうに背中をさすってくれる。
「大丈夫だよ……。パパ、こういう祓えも体を張ってやるんだよ」強がりを言いながら、心の中では「絶叫マシンには死ぬまで乗るものか」と誓っていた。
そうしてパルケエスパーニャをあとにした。
今夜は、車中泊だ。
伊勢湾岸自動車道から、刈谷ハイウェイオアシスへ。温泉と観覧車があることで有名なサービスエリアである。フードコートで夕食を取り、天然温泉に浸かり、遊び疲れた体をゆっくりとほぐした。もちろん観覧車にも乗った。
それから車に戻って、おやすみなさい……。
翌日も地道を走って帰ることにした。道すがら気になった店や施設があると寄り道する。道の駅や農作物の直売所を見つけたら、地場の朝どれ野菜、果物、地元のおばちゃんの手作り味噌、お漬物をどっさりと購入する。
そんなこんなで、気がつけば静岡を抜ける前に日が暮れようとしていた。

日本人のルーツをたどる旅?
今回の旅は、日本人のルーツをたどる旅になるだろうと思っていた。でも正直に言うとそういう感覚はまるでなかった。
帰り道で、帰宅後もしばらく考えていて、ようやく気がついた。僕らの体に染み込んでいる神道の思想は、体系化された宗教とはまったく別のものだということに。
神道という言葉が文献に初めて登場したのは6世紀後半。それ以前は宗教という意識すらなく、空気や水と同じように当たり前にそこにある生活習俗だった。
万物に神が宿るという自然観、宗教観、死生観は縄文の昔からあった。自然そのものがご神体であり、巨岩や山や大木が神の降りる場所だった。祭りのときだけ人が集まり、終われば散っていく。常設の建物は必要なかった。子どもの頃に訪れた那智の滝のように、自然そのものを拝む場所がいまも日本中に残っている。
僕らが知っている神社という形は、4世紀から7世紀にかけて大和王権が日本を統一していく過程で整えられたものだ。仏教という外来の教えが入ってきたことで、それと区別するために「神道」という概念が生まれた。
つまり伊勢神宮ができるずっと前、日本に皇室が誕生するはるか昔から、日本人の中には神道の自然観や死生観が息づいていた。それは言葉や枠組みを超えたところにあるものだ。生活そのものと言ってもいい。
伊勢神宮で自分のルーツが見つからなかったのは、当然だったのだ。僕らのルーツは、伊勢よりももっと深いところにある。もっと古く、もっと静かで、もっと生活に近い場所にある。
とはいえ、あの土地に満ちる厳粛な空気は本物だった。帰りの車の中で、娘はシートを倒して眠ってしまった。その寝顔を眺めながら思った。この子の体にも、縄文の昔からつながる何かがきっと流れているのだろうと。
伊勢にあったのは、ルーツそのものではなく、ルーツへと続く長い道の途中に自分が立っているという感覚だった。
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※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

