祖父母のうなぎは、もう食べられない。——静かに消えゆく昔ながらの「生活の知恵」

うなぎを七輪で焼く祖母

七輪のそばに立つと、炭火の匂いと煙が鼻孔をくすぐる。

……ジュウ。

うなぎが焼ける音がする。じいちゃんが仕掛けで捕まえてきたうなぎを、ばあちゃんが軒先の七輪で焼いてくれる。脂が炭に落ちて、ぱちぱちと小さく弾ける。匂いを嗅いだだけで、口の中はもうよだれでいっぱいだ。

大人になってからも、じいちゃんとばあちゃんのかば焼きを超えるうなぎには出会えずにいる。専門店で奮発しても、ブランドうなぎを取り寄せても、いつもあの七輪の前に引き戻される。

そんな二人も、いまでは仏様だ。あのうなぎは、もう二度と食べられない。そう思うと、ちょっぴり切ない。

うなぎにいま何が起きているか

祖父母の家で食べたうなぎは、僕にとっては特別なものだ。大人になってちょっと背伸びして、土用の丑の日に専門店で坂東うなぎなどを食したこともあるけれど、備長炭でじっくり焼いた天然うなぎにはかなわない。

それなら天然うなぎを注文すれば良かったのではないか。たしかにそうだが、時価の二文字を見て腰が引けたのだ。注文の直前まで往生際悪く迷っていたくせに、いざ口を衝いて出たのは「坂東うなぎで」という安全牌だった。我ながら意気地なしだと苦笑いした。

ちなみに土用の丑の日にうなぎを食べる習慣が定着したのは江戸時代だそうだ。むろんそれ以前も日本の食卓にのぼっていたから、うなぎのかば焼きというのは、我が国の食文化のひとつと言っていい。

ところがそれほど親しまれてきたにもかかわらず、現代科学をもってしてもうなぎの生態はいまだ謎だらけ。日本から二千キロ南のマリアナ諸島付近の海で産まれ、黒潮に乗って日本の川にたどり着く。そのくらいはわかっているのだが、深海で何を食べているのか、どうやって日本へ泳いでくるのか、そのあたりは謎に包まれている。

ニホンウナギ、絶滅危惧種に指定される

1960年代には100トン以上あったシラスウナギ(うなぎの稚魚)の国内漁獲量は、いまや激減している。2014年、ニホンウナギは国際自然保護連合から絶滅危惧種に指定された。

スーパーに並ぶのはほとんどが養殖魚。その養殖魚も、天然のシラスウナギを捕まえることから始まる。つまり稚魚が減ると、養殖だって成り立たなくなる。こういう構造的な危うさのうえに、いまのうな重はあるのだ。

店頭では、国産と中国産が肩を並べるが、実はこの産地表示、稚魚をどこで捕ったかではなく、どこで養殖したかで決まるという。海外で捕った稚魚も、日本で育てれば国産。その国産の多くはニホンウナギ、中国産の多くはヨーロッパウナギやアメリカウナギなど別の種だそうだ。中国産のうなぎがふっくら大きいのは、育て方もあるがそもそも種がちがうからなのだ。

どちらが良いという話ではない。でも知っておいて損はない。国産うなぎは屋内で水質と水温を厳しく管理し、高品質の飼料で育てているぶん手間とコストがかかる。当然、値も張る。一方の中国産はコストを抑えた露地養殖が主流だ。それぞれのうなぎの値段の背景を少しだけ意識してみると、食を選ぶ目も少しだけ変わる。少しだけだから、我が家は中国産を買うことが多い。

完全養殖という希望

絶滅が危ぶまれているためか、天然稚魚に頼らない完全養殖の研究は、実のところ50年以上も続けられてきた。過去には一度、人工孵化に成功しているものの、稚魚は数日しか生きられなかった。

完全養殖への道が開けたのは、サメの卵の粉末なら食べるという発見がきっかけだった。それまで何を与えても死んでしまっていた稚魚が、サメの卵だけは食べたのだ。

2010年、日本が世界で初めて完全養殖に成功した。卵から成魚まで育て上げ、成魚が産んだ卵をまた孵化させる——。持続的なサイクルを実現したのである。現在は年間数万匹の安定生産が可能な技術も確立されているという。

ただし——。

一尾あたりの生産コストはまだまだ高い。天然の取引価格の数倍だ。たしかに完全養殖の技術があれば、ニホンウナギは今後も生き延びることができるだろう。

ただし、うなぎだけに細々と、である。このままではうなぎのかば焼きという伝統食が、庶民の食卓から完全に姿を消してしまうかもしれない。祖父が沢で仕掛けをしていた頃、日本全国の川にうなぎがいるのはごく当たり前だった。その当たり前が、いまは当たり前でなくなってしまった。寂しい話である。

祖父母の生活の知恵

祖父が夕方、仕掛けを川底の石のあいだに沈めると、あくる日の早朝うなぎがかかっていた。そのうなぎを、祖母が台所で手際よくさばいていく。

生きたうなぎは、ぬるぬるしていて力強い。氷水に浸けて弱らせたあと、塩で揉んでぬめりを落とす。それから顎のあたりに千枚通しを目打ちして、長い胴体を手際よく開いていくのだ。祖母は曾祖母から教わったのだろうか。

これはうなぎに限った話ではない。

山菜が芽吹く場所や時期、よもぎをお灸や湿布として使う方法、塩と酢だけで食材を長持ちさせるコツ——。祖父も祖母も、そういうことをよく知っていた。山河に抱かれた生活の中で自然と身につけた、あるいは祖父母や親から受け継いだ生活の知恵である。

世代の断絶によっていまそれが静かに消えゆこうとしている。

受け継ぐための田舎暮らし

だから僕は、なるべく早い時期に生活の拠点を田舎へ移したいと考えている。存命のお年寄りたちの輪に入り、その手元をじっと見つめながら、梅干しの漬け方や味噌の仕込み方、野菜の育て方を直接教えてもらいたい。自然と調和した生活の知恵を、自分の体に染み込ませたい。

そうしてなんとか一人で暮らせるようになったら、今度は僕がその手触りのあるバトンを次の世代へ手渡す番だ。

そんなふうに未来を思い描くようになったのは、祖父母の家で過ごしたかけがえのない日々があったから——あの夏の日に七輪から立ちのぼっていた、香ばしい煙の向こう側を覚えているからだと思う。

ありがとう、じいちゃん、ばあちゃん。我が家の台所は、まだあの川とつながっているよ。