きゅうりさん、おいしいよ——青い空と、夏の縁側と、蝉の合唱と

きゅうり

きゅうりの一本漬けを作った。割り箸をぐいっと縦に差しこんで、ごま油と醤油と酢に浸す。冷蔵庫でキンキンに冷やしてかぶりついた。そうしたら少年時代の風景が突然、鮮やかによみがえってきた。

ある夏の日、僕は妹と縁側に座っていた。前の畑で父がもいだきゅうりを、母が台所でさっと洗って手渡してくれた。麦茶のグラスが汗をかき、僕も汗だくだった。のどはカラカラだ。

かぶりついたら、パリッと小気味のいい音がした。

そよ風が風鈴をかすかに揺らし、夏の日差しが周囲を白く焼いている。見上げた空は青々として、蝉の合唱が遠く近くで重なっていた。僕はみずみずしいきゅうりを二、三本、続けざまに食べていた。

ギネス認定、世界一低カロリーな野菜

きゅうりは『ギネス世界記録』に、世界でもっともカロリーの低い果実として載っている。百グラム当たり約十四キロカロリー。成分の九十五パーセントが水分。つまり、ほぼ水なのだ。

夏の食卓にきゅうりが並ばない家はほとんどない。浅漬け、たたき、もろきゅう——。いつだって準主役くらいの顔つきでいる。

それにしてもこんな栄養のほとんどない野菜を、どうして僕らはこんなに食べているのか。

人間の体は、より多くの栄養を効率よく得るために進化してきた。火を使い、消化効率を上げ、消化管を短くし、余ったエネルギーで脳を大きくした。人類は摂取カロリーを最大化することに血まなこになってきた種だ。それが、ほとんど水だけの野菜を愛してやまない。

そこにはれっきとした理由がある。

夏の体がらくになる

薬膳や漢方では、きゅうりは火照った体を冷ましてくれる食べ物だ。利尿を促し、のどの渇きやむくみをやわらげてくれる。たとえば、焼いたアジをほぐして薄切りのきゅうりと和えると、体を冷やすきゅうりと、疲労回復を助けるアジのビタミンB群がちょうどよく手を取り合う。夏の台所が自然と選んできた組み合わせだ。

自然療法の世界でも、きゅうりのしぼり汁は、火照りや熱を冷ます手当てとして使われてきた。あせもに塗ったり、卵白やはと麦と合わせてパックにしたり。体の不調には、にんじんのしぼり汁と合わせて飲むと良い、そんな知恵も残っている。

昔の人がビタミンや利尿作用を意識していたわけではないだろう。ただ、暑い日に味噌をつけてかじると体がらくになる。ぬか漬けにすると、なんだか調子がいいし、うまい。その経験知がいまになって科学で説明されているだけだ。

ついでにいうと、我が家には『きゅうりさんあぶないよ』という絵本がある。楽しい本だ。娘が小さい頃、何度もせがまれて読んだ。絵本の世界でもきゅうりは、やっぱり愛すべきキャラクターとして描かれていた。

記憶を思い出す栞

そんなことを思い出していたら、「ただいまあ」と玄関からくたびれた声が聞こえた。娘が帰ってきたようだ。おかえりと返し、冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた一本漬けを出してやった。
うまそうにパリパリと音を立ててかじりついている。

「きゅうりさんの味はどう?」

「おいしいよ。あ、きゅうりさん、おいしいよ」

そう言って娘はふふっと笑った。覚えていたようだ。

真夏にきゅうりを丸ごと一本食べる。とても些細な体験だ。でも実はそれほど些細なことでもない。単純な食べ物ほど、記憶やイメージを喚起する力は強い。食べ物は栄養補給のためだけにあるのではない。将来、何かを思い出す栞でもあるのだ。

僕が今日、数十年ぶりに実家の縁側を思い出したように、この子も大人になって縁日かどこかで一本漬けを食べたとき、今日のことを思い出すかもしれない。

きゅうりさん、おいしいよ、そう言って笑ったことも。

きゅうりの一本漬け

【材料】きゅうり三本、塩・醤油・酢・ごま油・砂糖 各小さじ一

  • きゅうりの両端を切り落とし、ピーラーで縞目状に皮をむく。
  • ポリ袋にすべての調味料を入れて混ぜる。
  • きゅうりを投入し、袋の上からもむ。
  • 冷蔵庫で半日冷やす。

食べる直前に割り箸を刺すと、屋台ムードが出る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です