塩を切らして途方に暮れる。——精製塩をやめて気づいた、いちばん大切な調味料の話

塩田

塩を切らしたことがあります。

夕飯の支度を始めて、さあ下味をつけよう、そう思ったとき、塩の容器がからっぽだった。戸棚を探してもない。醤油はある。みりんもある、ポン酢もソースも出番待ち。塩だけがない。

途方に暮れました。仕方なしに塩こうじで代用しましたが、少し焦がしてしまいました。それはそれでおいしかったけど(笑)

ともあれ何年も台所に立っていて、そのとき初めて気づいたのです。塩さえあれば料理はなんとかなるけれど、塩がないと始まらないと。棚にならぶさまざまな調味料のなかで、塩は別格なのだと。

それともうひとつ。来る日も来る日も世話になっているのに、わたしは塩についてほとんど何も知らないと——。

職人は塩にこだわる

食に関わる方々を、長年にわたって取材してきました。そのなかでよく、塩へのこだわりが話題にのぼったものです。

「塩が変わると、味が変わる」「にがりが味の決め手」「精製塩だとまろやかさがない」—―。

食品づくりの根底には塩がある。塩の質が、仕上がりを左右する——。そんな話を聞きながら、わたし自身はスーパーで何も考えず「食塩」を手にとっていました。

何度目かの取材後、思い立って塩について真剣に調べました。

「食塩」の正体

スーパーの塩コーナーに立って、棚を眺めてみてください。「食塩」と書かれた白い袋、「天日塩」「自然塩」「海塩」とさまざまな名前のもの。これらは何が違うのか。

「食塩」と書かれた製品の多くは、イオン交換膜製法と呼ばれる電気的な方法で、海水から塩化ナトリウムだけを取り出したもの。製造効率が高く、価格が安い。さらさらとして扱いやすい。合理的な製品です。

ただし、このプロセスで失われるものがあります。

海水には、ナトリウム以外にもマグネシウム、カリウム、カルシウム、鉄など、70種類以上のミネラルが溶けています。「にがり」はご存じですよね。豆腐を固めるのらに使うあれです。主成分は塩化マグネシウムで、海水から塩を取り出したあとに残る液体、つまり精製塩をつくる工程で「除かれるもの」です。

天日塩や自然塩は、海水を太陽と風でゆっくり乾燥させてつくります。余計なものを加えず、必要なものを取り除きすぎない。だから、もともと海水に含まれていたミネラルがそのまま残ります。

精製塩と天然塩の違いをひとことで言うと、「純粋な塩化ナトリウムか、海のミネラルを丸ごと含むか」ということになります。

はやま

「食塩」は「精製された塩化ナトリウム」、天然塩は「本物の塩」。塩の化学式は同じNaClでも、その周りにあるものがまるで違います。
食塩と天然塩の違い

塩をめぐる冒険と、親父のこと

塩を調べるうち、塩にまつわる興味深いエピソードをいくつも知りました。

日本は1905年から1997年まで、塩の専売制を敷いていました。国が塩の生産と販売を管理していた時代。ある書物には「GHQが意図的に精製塩を普及させ、ミネラルを日本人から奪うことで国民全体の弱体化を図った」という話が書いてありました。

真偽のほどは、わかりません。陰謀論の香ばしい香りふんぷんではある(笑)。ただ専売制廃止後の1997年以降、日本で自然塩の種類が一気に多様化したというのは事実です。読み物としてはおもしろい話ですし、そのあたりの本を何冊か夢中で読みました。

印象に残ったのは、現代の「高血圧と減塩」に関する常識を真っ向から否定する考え方です。こんな感じでした。

高血圧というのは、体が全身のすみずみにまで血液を送り届けるために体がポンプ機能を高めている状態だ。薬で血圧を無理やり下げたりすると、血管の末端部分にまで血液が行きわたらなくなる。これはよくない。塩が血圧を上げるというのも食塩の話で、ミネラルを豊富に含む天然塩の場合、何も問題ない。むしろ体には有益だ。積極的に摂るべきだ。塩はヒトの体にとって必要不可欠なミネラルをたくさん含んでいる。減塩なんかすると別のより深刻な問題が発生する。

そのあとすぐ帰省したので、父に話してみました。

父は長年高血圧で、かかりつけ医の指示のもと、もう何十年も減塩に励んでいます。薄味を心がけ、塩分の多い食品を避け、降圧剤を飲んでいる。「食塩をやめて天日塩にしてみたら? 血圧に影響ないかもしれないよ」

みごとに無視されました(笑)。

当然ですね。何十年も医者から言われ続けてきたことを、息子の話ひとつで変えられる人はいません。ただ、この件については、「あながち間違いではないかも」という印象です。塩の質に興味が出た方は、信頼できるかかりつけ医と相談しながら、一度考えてみてもいいかもしれません。

わたしたちの体に塩がどれほど大切か、いろいろ調べて思い知りましたので。

はやま

親父とのいつもこんな感じです。でも「やっぱりそうだったか」と後日言われる日を、ひそかに楽しみにしています。

山に持っていく調味料は、塩だけ

山で肉に塩を振る

テント泊の登山をするようになって、ますます塩の奥深さを実感しました。

山では、荷物をいかに軽くするかが命。ザックに詰める食材は最低限。調味料を何種類も持っていく余裕はない。そもそも疲れ切った体で、夕暮れの稜線を眺めながら作る山飯に、凝った味付けなどいらない。

フライパンで肉を焼き、最後にひとつまみの塩を振る。

いい塩を使うと驚くほどうまいのです。標高2000メートルを超えた場所で食べるその肉は、下界で食べるどんな料理よりもおいしく感じられる。疲れと空腹のせいだけではありません。

バーベキューも、ずっと「塩だけ派」です。

肉を焼いて、ちょっといい塩をひとつまみ。それで十分というか、それが一番。旬の新鮮な野菜も同じ。塩だけ。採れたての新鮮な素材の味がダイレクトに味わえます。一度、食塩(精製塩)と比べてみたことがあるのですが、食塩は塩辛いだけ。天日塩のような味の広がり、ふくらみが感じられない。もう元には戻れません。

はやま

素材本来の滋味を満喫したいなら、味付けは塩のみがいちばん。もちろん他の調味料も使いますが、ベースはいつも塩。天然塩です。そこに調味料を少しプラスする。わたしの料理哲学のひとつです(笑)

「いい塩は高い」という思い込み

沖縄産の天日塩などは、たしかに食塩より高いです。

100グラムあたり千円くらいするものもあって、キロ100円前後の食塩と比べれば価格差は大きい。最初は少し躊躇しました。

でも、ある日気づきました。他の調味料と比べたら、どうだろうか——。

ポン酢、とんかつソース、お好み焼きソース、タコ焼きソース、ウスターソース、オイスターソース、ナンプラー、白だし、めんつゆ、鶏がらスープの素、中華調味料、柚子胡椒……。

この辺にしておきますが、一回に使う量を考えると塩が特別高いということもない。塩には賞味期限もない。日付を見て、冷蔵庫の奥の調味料を捨てた経験、誰にでもあると思います。「いい塩は贅沢」というイメージは、思い込みだったとわかりました。

それからは、沖縄の天日塩も気がねなく買うようになりました。直接かけて食べるものにはこれを使い、日常の料理全般にはオーストラリアの天日塩をまとめ買い。オーストラリア産の天日塩は、無添加で自然乾燥、ミネラルをしっかり含みながら価格もこなれている。業務用サイズで買うと、さらに経済的です。

天然塩・自然塩の選び方
・製造工程に「平釜」「天日」と書いてある
・100g当たりの「食塩相当量」が約90g以下

塩は、発酵食品の「縦糸」だった

このブログで、発酵食品の記事をたくさん書いてきました。

塩麹味噌醤油ぬか漬け梅干し——どれも、塩抜きには語れません。

発酵食品における塩の役割は、単なる味つけではありません。雑菌の繁殖を抑えながら、乳酸菌や麹菌だけが静かに働ける環境をつくる。その加減は絶妙です。塩が少なすぎれば腐敗し、多すぎれば発酵が止まる。塩は発酵というプロセスの門番であり、調律師なのです。

塩は、和食という文化全体をつらぬく縦糸のような存在です。味噌汁の深み、ぬか漬けの酸味の奥にある旨味、梅干しの複雑な味わい、そのすべてを塩が支えている。

今日、スーパーへ行ったらぜひ一度、塩のコーナーで立ちどまってみてください。食卓を変える入口になるかもしれません。

はやま

塩は、ただの調味料ではありません。食の文化を、家族の健康を、発酵という長い営みを、何百年も静かに支えてきた存在です。ちょっと大げさか(笑) でも機会があれば、ぜひ台所の塩を見直してみてください。