友達はいる。家族もいる。
なのに、なぜかひとりだ。
賑やかな場所にいるのに、自分だけ薄いガラスの向こう側にいるような感覚。「元気?」と聞かれて「元気だよ」と答えながら、本当のことは何も話していない夜がある。
孤独は、ひとりでいることとは少し違います。人に囲まれていても、深い孤独を感じることがある。「誰にもわかってもらえない」という感覚は、人間にとって、もしかしたら一番つらい痛みかもしれません。
そこで今回は、三人の思想家にこの悩みをぶつけてみました。アルベール・カミュ、マルティン・ハイデガー、シモーヌ・ヴェイユ。三者三様の答えが返ってきましたので、どれかひとつ、今夜の枕元に持ち帰ってください。
カミュの答え:「あなただけが孤独なのではありません」
まず登場するのは、20世紀フランスの作家・哲学者、アルベール・カミュ。ノーベル文学賞を受賞し、46歳で交通事故により突然この世を去りました。貧しい家庭に生まれ、若くして父を亡くし、自身も結核を患いながら書き続けた人です。苦しみを知っている人の言葉は、やはり違います。
彼はこう言うでしょう。
「孤独を感じるのは、あなたが弱いからではありません。人間であれば、誰もが感じる、この世界の根本的な性質です」
カミュは、人間がどれだけ「意味」や「つながり」を求めても、世界はそれに答えてくれないという現実を「不条理」と呼びました。難しく聞こえますが、要するにこういうことです。「わかってほしい」という気持ちと、「完全にはわかってもらえない」という現実の間にある、どうにもならない溝のこと。
でもカミュは、そこで終わりません。その溝を認めたうえで、それでも人と向き合い続けることが、人間の誠実さだと言います。
「誰にもわかってもらえない」という孤独は、あなたが特別に不幸なのではなく、人間として深く生きている証拠です。そしてその孤独を感じているのは、あなただけではありません。今夜この瞬間も、世界のどこかで同じ気持ちを抱えている誰かが、同じように夜を過ごしています。
はやま
ハイデガーの答え:「本当のあなたに、戻るチャンスです」
次に登場するのは、20世紀ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガー。「存在とは何か」という問いを生涯かけて追い続けた人物で、その著作は難解なことで知られています。でも今回伝えたいことは、難しくありません。
彼はこう言うでしょう。
「孤独を感じるとき、あなたは今、「本当の自分」の声が聞こえる場所にいます」
ハイデガーは、人間は普段「世間」の声に合わせながら生きていると言います。「こうすべきだ」「こうあるべきだ」という周囲の空気を読みながら、いつの間にか「みんながそう思っている自分」を演じてしまっている。
孤独を感じる瞬間は、その「演じている自分」が剥がれ落ちる瞬間です。誰の目も気にしなくていい、誰かに合わせなくていい——。そういう静けさの中に、本来のあなたが顔を出してくる。
だから彼は、孤独を「欠けているもの」とは捉えません。にぎやかさの中でうっかり忘れていた自分に、もう一度出会える時間だと考えます。
「誰にもわかってもらえない」という感覚は、裏を返せば「私には、まだ誰にも見せていない部分がある」ということかもしれません。
はやま
ヴェイユの答え:「あなたを見ている人が、ここにいます」
三人目は、20世紀フランスの哲学者・神秘思想家、シモーヌ・ヴェイユ。ユダヤ人の家庭に生まれながら、工場労働者として現場に飛び込み、スペイン内戦にも参加し、34歳という若さで亡くなりました。どこまでも他者の苦しみに寄り添おうとした人です。
彼女の言葉の中に、こんなものがあります。
「注意を向けることが、愛の最も純粋な形である」
ヴェイユが言う「注意(アテンション)」とは、ただ見るのではなく、相手の存在をまるごと受け取ろうとする、静かで深い集中のことです。
「誰にもわかってもらえない」という孤独の核心は、「誰にも見てもらえていない」という感覚だと思います。話は聞いてもらえても、本当のところまでは届いていない。そういう虚しさ。
ヴェイユはここで、逆の方向からそっと手を差し伸べてくれます。あなたが誰かに「見てほしい」と思うように、あなたも誰かをそのように「見る」ことができる、と。そしてその「深く見る」という行為は、まず自分自身に向けることができると。
誰かにわかってもらえなくても、あなた自身があなたの孤独を、静かにまるごと受けとってあげられる。自分の痛みに、ちゃんと「注意を向ける」こと——それがヴェイユの言う、愛の出発点です。
はやま
最後に葉山から:孤独を「栄養」に変える、台所へどうぞ
カミュ、ハイデガー、ヴェイユ——三者三様の答えが出そろいました。どれかひとつ「そういう見方もあるか」と感じてもらえたなら、十分です。
さて最後に、台所の話をさせてください。
「誰にもわかってもらえない」という夜は、無理にSNSを開いたり、誰かに連絡を取ったりしなくていいと思います。それはむしろ、自分の内側へ戻るための時間かもしれない。
今夜は、自分のためだけに丁寧にお湯を沸かしてみてください。
そして、梅しょう番茶を一杯。熱い番茶に、梅干しをひとつとおろし生姜、しょうゆを少量。やっぱりこれです(笑)。梅の酸味が縮こまった気持ちをほぐし、生姜としょうゆの塩気と番茶の熱が、冷え切った内側をじんわりと包んでくれます。
温かい茶碗を両手で包んで、湯気を感じながら一口ずつ味わう。その時間は、誰にも邪魔されない、あなただけの聖域です。
ご飯にはごま塩をひとふり。ごまのミネラルが細胞をキュッと引き締めて、「私はここにいる」という静かな実感を体の奥から呼び起こしてくれます。付け合わせには根菜のきんぴらをひとつ。地中に根を張る根菜のエネルギーが、他人という枝葉に頼らない、自分だけの根っこを静かに育ててくれます。
誰かに理解されることよりも、まず自分が自分の体の声を聴き、温かい食事で満たしてあげること。その積み重ねが、孤独を「寂しさ」から、誰にも侵されない静かな「強さ」へと変えてくれます。
はやま
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

