子どものころ、年末になると本家で餅つき大会があった。
杵と臼を使った本格的なもので、寒空の下、叔父叔母やいとこたちが集まって、わきあいあいと餅をついた。自分でついた熱々の餅を手でまるめ、雑煮用、鏡餅用とこしらえていく。
あんこも用意してあったので、あんころ餅をつくってはみんなでほおばった。
湯気と笑い声が混ざり合った、あの空気はいまでも鮮明に覚えている。
あれが「おせち」の本質だったのだと、大人になってわかった。
「御節供」——年神様への供え物
おせちという言葉の語源は、「御節供(おせちく)」だ。
節句に年神様へ供える料理——それがおせちの始まりである。正月は年神様を家に迎える神事の期間であり、おせちはその神様と食を分かち合う「神人共食」の料理だった。
だから重箱に詰める。「重なる」はめでたいことが重なるという意味。一の重、二の重、三の重と、祝いを積み重ねていく。
三が日は火を使わない。年神様を迎える神聖な期間に、かまどの火(荒神様)を休ませるという意味がある。保存食としてのおせちは、この「火を使わない」という制約から生まれた知恵でもあった。
黒豆は「まめに働く」、数の子は「子孫繁栄」、田作りは「五穀豊穣」、昆布は「喜ぶ」——これだけならご存知の方も多いと思うが、その根っこには「神様と食を分かち合う」という神道の考え方があった。
もっとも、これを説明できる人はいまではほとんどいない。かくいうわたしも、きちんと理解したのはつい最近のことだ。
意味が消えても続くもの
面白いのはここからだ。
意味が忘れられても、形だけはしぶとく残っている。重箱に詰める。縁起物を並べる。家族で食べる。「なぜ?」と問われても答えられないのに、しきたりだけはみんな続けている。文化というのは「体で続く」ものなのだなとしみじみ思う。
そういう意味では、おせちはまだ生きている。
たとえ神人共食の意味が忘れられても、家族が囲む食卓という形が残っているかぎり——。
母と祖母の台所
子どものころ、大晦日になると母が台所に立った。
重箱三段のおせちを、いちから手作りするのだ。途中から妹も加わって、二人で和気あいあいと作っていた。
そのとき母は、祖母に電話をして料理の作り方や味付けをいちいち確認していた。子ども心に、おばあちゃんの味を再現しようとしているのだな、と思いながら見ていた。
伝統を受け継ぐとは、たぶんそういうことなのだ。手を動かして、話を聞いて、においをかいで、味を覚えていく。
それはレシピを検索することでも、百貨店の重箱を注文することでもない。
三が日に火を使う人
以前、妻が義母にこんなことを言われた。
「お正月におせちがないなんて、古いしきたりはちゃんと守らないと。子どももいるんから。年中行事の意味をいろいろ教えてあげないと」
なるほど、とうなずきながら、僕はあることが気になっていた。
妻の実家のおせちは、百貨店の高級おせちだったし、三が日にもかかわらず、義母は平気な顔をしてガスコンロを使っていたのである。
年神様も、さぞかし肩身が狭かったことだろう(笑)
伝統を守るとは、たんに形を買うことではなく、実践し意味を知ることではないか——そんなことを考えさせられる正月だった。
おせちの未来と、わたしたちの正月
核家族化が進み、共働き世帯が増え、おせちをいちから手作りする家庭は少数派になった。
それを嘆く声もある。でも僕は少し違う見方をしている。
文化は守るものではなく、育てるものだ。その家に合う形に変わっていくとき、むしろ文化は強くなる。
大切なのは「神様と食を分かち合う」という感覚を、どこかに持ち続けることではないかと思う。
今年の正月、うちは年越しそばとしゃぶしゃぶだった。おせちはない。でも家族がそろって食卓を囲んだ。
年神様、それで勘弁していただきたい(笑)
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