河原の宝石商

洗面所の石ころ

川遊びの帰り道、娘の歩き方がおかしい。

腰のあたりが重そうなのだ。一歩ごとにカチャカチャと音がする。ズボンの両ポケットが不自然にふくらんでいる。聞かなくてもわかる。石だ。

うちの娘は川に行くたび石を拾う。それも真剣に。しゃがみ込み、手に取って泥を指で払い、光にかざして吟味する。合格した石だけが娘のポケットに入れてもらえる。

その目つきはもはや宝石商だ。仕入れには妥協がない。

「見て、これ」

差し出された手のひらに灰色の丸い石があった。

「すごいでしょ」

すごい。どこがだろう。僕の目には、河原に十億個は転がっている石のひとつにしか見えない。しかし娘の目は本気で輝いている。彼女には見えているのだろう。僕には見えない何かが。

「おお、すごいな」と答えた。半分は社交辞令、半分は見えていない自分への戸惑いである。

こうして仕入れた石は、我が家の洗面所に並ぶ。歯ブラシの横が、彼女の陳列棚なのだ。在庫は川へ行くたびに増える。灰色の石、白っぽい石、灰色の石。ちょっと平たい石、灰色の石……。傾向としては、灰色が多め。

ある朝、洗濯機が異音を発した。

がらんがらんと乾いた音を立てて回っている。緊急停止して確かめると、洗濯槽の底に石が三つ転がっていた。ポケットの検品を怠った僕の落ち度である。

宝石商は仕入れた在庫の一部を流通経路に残したままにしていたのだ。以来、我が家では、洗濯前のポケット検査が正式な工程となった。空港の手荷物検査より摘発率はずっと高い。

在庫は増える一方だった。

洗面所の棚は満杯になり、石は窓枠へ進出し、やがては玄関の靴箱の上にまで支店を出した。ここだけの話、僕は一度、石減らし作戦を敢行したことがある。どう見ても同じ灰色の石が並ぶ一角から、二個をこっそり間引いた。十個のうちの二個だ。ばれるはずがない。

その日の夕方、洗面所から声がした。

「ねえ、丸いのの隣の、ちょっとだけ平たいのがない」

ばれた。

十個の灰色から二個の不在を言い当てた。彼女の中では同じ灰色ではなかったのだ。ひとつひとつに拾った川、拾った日、選んだ理由があるのだ。商人だけが管理している台帳があるらしい。

僕は、何食わぬ顔で棚に戻した。作戦は二度と実行されなかった。

それにしても、なぜ石なのか。

河原にはもっと持ち帰りがいのあるものがある気がする。きれいな貝でもめずらしい流木でもなく、よりにもよってどこにでもある灰色の石なのか。それを宝物と呼ぶ感覚が、大人の僕にはもうない。いつなくなったのかもわからない。

ヒントをくれたのは娘だった。

あるとき棚の前で、一個ずつ手に取りながら解説してくれたのだ。これはおたまじゃくしがいっぱいいたとこの石。これはパパが転んだ日の石。これはお天気雨の日の——。

そういうことか。彼女は石を拾っていたのではない。思い出を拾っていたのだ。おたまじゃくしの日。僕が転んだ日。日照り雨の日。形のないその日一日の記憶を石に込めて持ち帰る。石は頑丈な記憶の容れ物だったのだ。棚から消えたのは彼女にとって石ではなかったのだ。

宝石商の目に見えていたものがやっとわかった。

月日は流れた。

娘が石を素通りするようになったのがいつだったのか、もうはっきりと思い出せない。あるとき気がついたら、ポケットはカチャカチャ鳴らなくなっていた。洗面所の在庫も少しずつ整理されていった。それでも最後まで数個の精鋭だけが棚に残った。

先日、河原を一人で歩いた。

夕方で水面がまぶしく、足元で石がごろごろと鳴った。

十億個の灰色の中に、妙に丸いのがひとつだけあった。しゃがんだ。拾った。ズボンで泥を拭い、光にかざした。

我ながら堂に入った手つきだった。仕入れの作法はいつの間にか僕が継承していた。

いい石だったのだ。どこがと聞かれても困る。ただいい石だと感じたのだ。だからポケットに入れて持って帰った。

その石がいま、僕の机の上にある。

娘が見たら、何と言うだろうか。「ただの石ころじゃん」と笑うだろうか。笑われたら、こう返すつもりでいる。

——これは、お前と歩いた川の石だよ。