腸先輩

腸先輩

ある朝、娘がこぼした牛乳を見て、僕は思わず声を荒げた。たかが牛乳である。拭けば済む。それなのに、まるで親の仇でも討つような勢いで「何やってるんだ」と言ってしまった。

娘がびくりと肩をすくめる。その小さな肩を見た瞬間、胸の奥がずきっと痛んだ。またやった。なんでこんなことで。自己嫌悪というのは、決まって事が済んだあとからやって来る、招かざる客だ。

だがその朝に限って、僕はふと立ち止まった。

——待てよ。これは本当に僕の落ち度なのか。

意志が弱いからでもダメな父親だからでもない。もっと奥のほうに、犯人がいるのではないか。なんであんなに怒ってしまうのか。そう考えていくうちに、僕の意識はいつの間にか体の奥へ潜っていった。

話は、三十数億年さかのぼる。

はるか太古の昔、僕らの祖先はなまこのような生きものだったという。信憑性はさておき、体のほとんどが消化管で、食べて、消化して、排泄する。それが生命活動のすべてだったらしい。

その後、動くために手足ができ、食べられるものを増やすために胃が雇われ、毒を片づける肝臓と腎臓が入り、激しい仕事をこなすために心臓や肺が鍛えられた。そして最後に、脳という新入りがやって来た。

ここで声を大にして言いたい。

——脳は新入りである。態度だけが大きい新入りだ。

朝から晩まで「判断を下すのは俺だ」と社長面しているが、実態はちがう。僕という自我は、創業三十数億年の老舗たる腸先輩の、ただの[#「パシリ」に傍点]パシリ[#「パシリ」の傍点終わり]にすぎない。

腸先輩は、気分屋である。

前の晩に質の悪い揚げ物をしこたま流し込まれた朝などは、てきめんに荒れる。便秘のときも一日中、不機嫌だ。僕自身、思い当たることばかりで、便秘ぎみの朝や、唐揚げをたらふく食べた翌朝は、自分の反応がはっきり変わるのがわかる。

腹を立てるほどのことでもないのに腹が立ち、気にするほどのことでもないのに妙に気にかかる。同じ出来事でも、先輩の機嫌しだいで受け取り方がまるでちがう。腸脳相関などという小むずかしい言葉で語られる現象も、ふたを開ければこれである。先輩の機嫌が部署じゅうに伝わる。どこの職場にもある、あれだ。

先輩の仕事ぶりを覗いてみる。

幸福感に関わるセロトニンという物質の九割は腸で作られている。

これだけ聞くと、腸先輩はずいぶん気前のいい幸せの製造元に思える。ところが先輩は、腕組みしながらこう言う。

「わしがせっせと作っても、セロトニンはほとんど本社(脳)に入れんのだ。あそこには血液脳関門というやたら厳しい門番がおる。あなた方は通れません、どうぞお引き取りをと冷たく追い返されてしまう」

なんという理不尽。

それではなぜ、腸の機嫌が僕の気分を左右するのか。先輩は鼻で笑って、こう続ける。

「正面から押し込めんとなれば、裏の手を使うしかなかろう。内線電話(迷走神経)で本社にちょくちょく連絡を入れておる。通行証を持った手下(トリプトファン)を送り込んで、本社の空気をじわじわと懐柔してやるのだ」

電話と使者で空気を変える。なんとも日本企業的なやり方だ。

届くころには「なんだか今日は機嫌が悪い」という、伝言ゲームを経た曖昧なメモになっているが、それでも確実に届いている。

長年パシリをやっていると、先輩のご機嫌の取り方も身についてくる。

朝いちばんの白湯は、出社直後のお茶出しだ。冷たい水ではなく体温に近い湯がいい。眠っていた先輩がゆっくりと伸びをして動き出す。我が家では、娘が「お湯ちょうだい」と言うのが、先輩の目覚めの合図のようになっている。

差し入れも欠かさない。納豆でも味噌汁でもぬか漬けでも、何かひとつ発酵したものを食卓に乗せる。腸先輩はこういう昔なじみの差し入れにめっぽう弱い。

疲れた晩には接待もする。にがりを溶かした湯に浸かるのだ。マグネシウムは神経の興奮を抑えてイライラをやわらげる働きがある。娘に「今夜はにがり温泉だぞ」と言うと、「わーい」と返ってくる。「わーい」を聞くだけで、先輩までいくらか機嫌を直してくれるようだ。

ただし、ご機嫌取りの本丸は朝ではない。腸先輩は夜のあいだに一日の疲れを片づけ、明日の支度をしている。

だから夜にどんなものを差し入れるかで、翌朝の機嫌はおおかた決まってしまう。丁寧に出汁をとった、根菜たっぷりの味噌汁に発酵食品をひとつ添えて。できれば早めの夕食を——。

僕はもう決めた。娘につい声を荒げてしまっても、自分を責めるのはやめにしよう。悪いのは僕ではない。腸先輩がへそを曲げていただけだ。

僕という新入りは、どれだけ偉そうな顔をしてみたところで、所詮は三十数億年続く老舗の、新米のパシリにすぎない。それならせめて、先輩のご機嫌くらいはこまめに取っておこう。今夜の味噌汁で。それだけで、明日の食卓の雰囲気がいくらか変わるだろう。

こぼれた牛乳を笑って拭いて、娘に「おはよう」と言えるように。