「パパみたいになりたい」といわれて、言葉に詰まった——哲学者三人に相談してみたら

父と息子

小学三年の息子に「パパみたいになりたい」と言われました。うれしいはずなのに、なぜか言葉に詰まってしまい、「いや、パパなんか大したことないよ」と返してしまいました。なんであんなこと言ったんだろうと、いまも猛烈に後悔しています。「ありがとう」とだけ言えば良かったのにって。

相談者のKさん(30代)は、照れではなく「自分を低く評価する癖」があるとのことでした。読んでいて胸がチクッときたのは、わたしにも同じような経験があったからです。

でも似たようなお父さんは世の中にたくさんいると思います。

というわけで、三人の哲学者に相談してみましょう。今回はヴォルテール、アドラー、ウィリアム・ジェームズの三人。彼らが、あなたの「自分なんか」をひっくり返してくれるでしょう。

ヴォルテール「自分なんかは誰と比べた結果?」

最初は18世紀フランスの哲学者で作家、ヴォルテール。権力や宗教を鋭い皮肉で斬り、笑いで社会の「当たり前」をひっくり返すことを生涯の仕事とした人物です。

彼はこう話します。

「君に必要なのはまず深呼吸だ。パパみたいになりたいと息子に言われて固まる父親なんて、フランスでは珍獣扱いだよ。劇場で上演されててもおかしくない。その『自分なんか』は誰との比較だ? 高収入の誰か? 筋トレで腹筋を割ってるあの人? SNSで『朝5時に起きて家族のためにスムージー作りました』と投稿してるインフルエンサー? そんな連中と比べてどうする。息子さんは毎日、君を見てる。くたびれた顔で帰ってくる君、夕飯後にソファで寝落ちする君、休みの日に一緒にキャッチボールしてくれる君。ぜんぶ見たうえで、君のようになりたいと思ったんだ。理想の父親像なんていうのは幻だよ。社会が押しつけてくる幻想なんだ」

ヴォルテールは、問いを笑い飛ばす哲学者です。「自分なんか」という感覚は、実は外から植えつけられたものだと気づかせてくれます。

はやま

うちも同じようなことがありました。娘が小さかった頃、ちょうど育児に関する記事を雑誌によく書いていて、良き父親とはどうあるべきか、子どもとどう向き合うべきか、こんなテーマで取材してそれらしくまとめていました。これが曲者で、書けば書くほど理想の父親像が自分の手の届かないものになっていった。現実の自分との落差が日々、大きくなっていった。手本を自分で作って、自分で採点し、自分で不合格にしていたわけですね。いま思うとばからしい。そのうちその理想像をぜんぶ放り投げました。このままでいいやと(笑)

アドラー「比べる前の自分を思い出そう」

お次は、オーストリアの心理学者で哲学者のアルフレッド・アドラー。フロイトと並ぶ心理学の巨人で、劣等感とその克服を生涯テーマとした人物です。

彼は言います。

「自分なんかという感覚は、かならず比較のあとに生まれてくる。朝起きて、寝癖のままトイレに行くとき、『自分は大したことない』なんて思わないだろう? そう思うのは、誰かと比べたあとだけ。人は勝手に『あの人はS、自分はC』なんて謎のランク表を作る。誰にも頼まれてないのに。つまり劣等感というのは比較の副産物なんだ。比較をやめたら、劣等感は消える。比較をぜんぶやめたら残るのは何か? 君の息子の声だけさ。まっさらな状態でその声を聞いてみるといい。パパみたいになりたい。そこには上も下もないとわかるだろう」

アドラーは、比較という呪縛から人々を解放しようとした哲学者です。Kさんが自己肯定感を取り戻すきっかけを与えてくれそうです。

はやま

子どもはたまに「友達の親は〇〇なのに」と言いますよね。あれを言われると、親は無条件に腹が立つ。そういうときはアドラー節が役に立つかもしれません。ただ、言われた瞬間にグサッとくるのは、なかなか止められませんが(笑)

ウィリアム・ジェームズ「行動するから自信ができる」

三人目は、アメリカの哲学者で心理学者、ウィリアム・ジェームズ。プラグマティズム(実用主義)の創始者のひとりで、「人は自信があるから行動するのではなく、行動するから自信が生まれる」という言葉で知られています。

彼はこう語ります。

「比較を捨てたあとに残るのは行動だよ。人は自信があるから行動するわけじゃない。行動するから自信がついてくる。君はこれまで子どもと一緒に食事して、くだらない話を聞いてあげて、叱って、謝って、頭をなでて、抱きしめてきた。それが父親としての君を作ってきたんだ。まずそのことを思い出すべきだ。そうして心の持ちようが変わると、行動の結果も変わってくる。同じ料理でも、自分なんてと思いながら作る味噌汁と、まあ俺も悪くはないなと思いながら作る味噌汁では味が変わる。子どもはそういうことに敏感な生き物なんだ。とにかく息子さんの『パパみたいになりたい』は、君のこれまでの積み重ねに対する賛辞だ。それを忘れないことだ」

ジェームズは「行動が自己を作る」と力説した哲学者です。父親としての自信を回復する手伝いをしてくれます。

はやま

保育園のお迎えに毎日行った。いろんな話をした。風呂に入れた。夕飯を毎日作った。一緒に遊んだ。山や海や川に連れて行った。その積み重ねが、娘の中にわたしという父親の総体を作った。社会的な地位? ない。評判? ない。経済力? ない。ないない尽くしの男ですが、父親としてはこれでいいじゃないかと思うようにしています(笑)

葉山から

三人の哲学者が、社会の価値観を笑い飛ばし、比較の仕組みを解体し、行動の価値をあらためて教えてくれました。少し肩の力が抜けたでしょうか。

子どもが「パパみたいになりたい」と言ってくれるのは、たぶん数えるほどしかありません。うちは一回こっきりでした。だから、子どもがまだ小さいパパにはこう言うようにしています。

——「パパみたいになりたい」が来たら噛みしめろ。味がしなくなるまでしゃぶりつくせ。まちがっても「パパなんか」と言ってはいけない。それは謙遜ではなく、満点の答案を突き返す行為だぞ。

「ありがとう」と言えなかったことを悔やんでいるなら、いまからでも遅くないと思います。今夜、あの日の続きを始めてみる。そうしたら息子さんの「なりたいパパ」がまた少し育つ。ついでに、パパの自己肯定感もちょっと育つかもしれません。