ある夜、和菓子屋の菓銘の一覧を眺めていた。
店はもう閉まっている時間で、店内に人影はない。筆で書かれた和紙だけが、静かに風に揺れていた。
夜舟、木守、薄氷、花びら餅、初霞、山路、都鳥——。
食べたいものを探していたわけではない。ただ、名前だけを読んでいた。
「木守」というのは、収穫し忘れて枝に残った最後のひとつの柿のこと。来年もまた実りますように、という祈りを込め、わざとひとつ残す習慣もあるという。
その柿の孤独と、その柿に宿る祈りを、菓子の名前にしている。口に入れる前に、もうそこには冬の枝がある。
「薄氷」は、春先の朝、水たまりに張る、あの薄い氷。踏めばパリッと割れる、一瞬だけの透明さ。それを食べ物に変えた人がいる。
「夜舟」もおもしろい。外郎という菓子に使われる銘だが、由来に言葉遊びが隠れている。
外郎は米粉などを蒸して固める菓子で、米を「搗かない」。搗かないから、隣家も気づかない。気づかない、「搗き知らず」。そこから「着き知らず」、そして「夜船」。こういう飛躍を思いついた人は、きっと少し愉快な人だ。
それにしても、菓子に名をつけた人たちは、何を思っていたのか——。
水たまりに薄氷を見た朝があり、枝の柿を見上げた秋の夕方があり、暗い川を行く舟を眺めた夜があった。その人の名前は、残っていない。
食べ物に詩を宿らせる、という発想は、世界中を探しても多くない。
和菓子は口に入れる前に、名前で味わう。目で色と形を味わう。そうしてやっと、口に運ぶ。ひとつの菓子を三度楽しむように、はなから設計されている。
菓銘の一覧を眺めながら、少し得をした気分になった。
食べてもいないのに、もう季節のなかにいて、旅をしていた。名前だけで、どこかへ連れていかれる——そんな菓子がある国に生まれたことを、その夜は少しだけ誇らしく思った。
はやま
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