八歳のある日、突然「自分もいつかは死ぬんだ」とわかった。
病院のベッドの上でのことだ。交通事故で左の大腿骨を折り、夏の終わりから冬にかけて三か月の入院生活を送っていた。
外では蝉が鳴き、やがて鳴きやみ、秋の風がガラス窓をそっと揺らした。そのあいだ僕はずっと、膝下にドリルで開けた穴に針金を通されて足を吊られていたから、ベッドからは一歩も動けずにいた。
そのどこか——。たぶん秋口の夕暮れだったと思う。突然、気がついてしまったのだ。僕もやがて年を取って死ぬのだと。
病院というのは、死の気配がいつも身近にある。小児病棟の友だちが亡くなった。さっきまで話をしていた、隣のベッドの患者の容態が急変し、どこかへ運ばれたまま帰ってこない。数日後には新しい入院患者がやってくる。
それまで死は、自分とは無関係の出来事だと思っていた。お年寄りの話であり、テレビの中の話であった。子どもならみんな同じだと思うが、僕も自分が世界の中心にいるような感覚——まわりの世界は自分のために存在しているという感覚を持っていた。
でもあの日、突然理解した。
隣のベッドの人だって、その人にとっては自分こそが世界の主人公で、そこでの僕はただの脇役で、みんなそれぞれの世界を生きていて、いつかは死んでいく。それなら僕だって——。
その感覚を言葉にするのはむずかしい。ただ、何かが決定的に変わったのは確かだった。
怖くなって、母に尋ねた。
「死んだらどうなるの?」
「死んだらそれで終わりやんか」
「天国とかあの世とか三途の川とかは?」
「そんなんないわ。でもそのほうが気楽やん」
母はけらけらと笑ったが、僕はよけいに怖くなってしまい、今度は父に同じ質問をぶつけた。
「死んだらおしまい。ジエンド。ちゃんちゃん」父はおどけてそう言って一人で笑っていたが、僕はちっともおかしくなかった。
いつもそうなのだ。僕が望むのとは反対のことを言う。子どもの不安を汲みとる繊細さを持ち合わせていないのか、それとも単に意地悪なのか。どちらにしろ、僕は聞いたことを後悔した。
祖母の答えだけがちがっていた。信心深い人だった。神さまがいるという前提で、時間をかけてやさしく話してくれた。話の内容までは覚えていないけれど、聞き終わったとき、心底ほっとしたことを覚えている。
あのとき祖母は何を話してくれたのか。大人になってからもたまに考えることがある。
この記事に書いていること
昔の死生観と死後の世界
実は、昔の日本人の死生観には、これがあの世だという統一された答えがない。キリスト教には天国と地獄がある。仏教には極楽浄土がある。だが日本人のあいだでは、死んだらどこへ行くのかについて複数の考え方が長い時間をかけて重なり合ってきた。
大きく分けると、三つの場所がある。
黄泉の国——地下にある死者の国
ひとつめは、黄泉の国。
地の底の深いところにあるとされる死者の世界だ。禊の章で書いた、イザナギが変わり果てた妻の姿に肝をつぶし、命からがら逃げ帰った、あの暗い国である。『古事記』では、穢れに満ちた、忌み嫌われる場所として描かれている。古代の日本人が死の恐ろしい側面を投影した世界といっていい。
常世の国——海の彼方の理想郷
ふたつめは、常世の国。
海のはるか彼方にあるとされる、明るく清らかな楽園だ。不老不死の霊薬があり、豊かで美しい。竜宮城のイメージに近い。
黄泉が恐ろしいあの世なら、常世はうらやましいあの世である。神隠しと聞くとなんとなく桃源郷を思い浮かべてしまうのは、この常世のイメージと重なっているからだろう。
山や森——子孫のすぐ近く
みっつめ。これが昔の日本人にもっともゆかりの深い死後観だと僕は思うのだが、人は死んでも遠くへは行かない。近くの山や森にいる。
黄泉も常世も遠い場所なのに対し、こちらはすぐそこの話だ。集落の裏山に、川沿いの森に、ご先祖の魂が集まって、そこからじっと子孫の暮らしを見守っている。
死んだら神さまになる
ここで疑問が湧く。神道において、死は最大の穢れとして忌み嫌われてきたはずだ。ところが人は死んだら神になるともいう。穢れているのに神になれるのか。
矛盾しているように見えるが、大切なのはプロセスだ。
死の直後——穢れを清める
亡くなった直後の霊魂は、確かに穢れの状態にある。その不安定な状態を、神式の葬儀である神葬祭によって清めていく。そのあと五十日祭を経て、霊魂は清められ、家の守護神として鎮まったと見なされる。仏教でいう四十九日に近い考え方だ。
長い時間を経て——祖霊から氏神へ
話はここで終わらない。故人の霊魂は、その後も年忌の祭りを重ねるごとに少しずつ浄化され、三十三年、五十年という長い時間の果てに個人としての名前や個性は薄れて、その土地の先祖たちの大きな集まり——祖霊の一員となる。さらに時が経てば、土地全体を守る氏神へと昇華していくのである。
消えるのではなく、昇っていく。個人から、家族へ、地域へ。死者と生者の縦のつながりが、何千年という時間をかけて育てられてきた。
もうひとつ、面白いことがある。
古代の考え方では、生前どんな人物であっても、祀られて浄化されれば守護神に昇格できる。人の魂は神さまに授かったものだから、肉体から離れた魂は本来の清らかさに戻っていく。原罪を背負って生まれるというキリスト教とは対照的である。
盆と正月
病院のベッドで不安におびえる我が子に「死んだらおしまい」と言い放った父と母を責める気はない。二人とも答えを持っていなかったのだ。何千年も伝えられてきたものが、ある時期を境にぷつりと途絶えてしまったのだろう。
とはいえ、その痕跡はいまも僕らの暮らしの中にしっかり残っている。
お盆——先祖が山から帰ってくる日
たとえば、お盆がそうだ。仏教の行事として知られているが、実はそのずっと前から日本には同じ時期に先祖を迎える習慣があった。
八月十三日の夕方、家の前で迎え火を焚く。先祖の霊が道に迷わないよう明かりで導くためだ。そしてきゅうりとなすで小さな動物を作って供える。精霊馬である。
きゅうりは馬。少しでも早く帰ってきてほしいから。なすは牛。少しでもゆっくり戻っていってほしいから。行きは特急、帰りは各駅停車というわけだ。先祖は山から降りてきて、数日を家族と過ごし、また山へ帰っていく。
正月——年神さまを迎える
正月にやってくる年神さまも、もとは祖先の霊だと考えられてきた。豊かな実りを約束する神として、年の初めに山から里へ降りてくる。
お盆が夏に先祖を迎える行事なら、正月は冬に先祖を迎える行事。年に二回、先祖と交流する機会が暮らしの中に組み込まれている。
彼岸——この世とあの世が近くなる
春分と秋分のお彼岸に墓参りをするのも同じだ。太陽が真東から昇って真西へ沈むこの二日間は、この世とあの世の距離がいちばん縮まるとされている。
日本人の暮らしの節目のほぼすべてに、「先祖と交流する」という感覚が埋め込まれている。それは単なる迷信や形式ではなく、何千年もかけて育てられた、死への答えだったのだ。
失ったもの、残っているもの
昭和の後半から、ほとんどの人が病院で亡くなるようになった。死は専門家に委ねられ、遺体を自宅に安置することも、家族でゆっくり別れの時間を持つことも少なくなった。死を日常の中にあるものとして感じる機会がほとんどなくなったのだ。
かつての日本人が持っていた「先祖は近くにいる」という確信は、悲しみを和らげ、孤独を癒やし、死への恐怖をやわらげるものだった。現代人が感じる漠然とした死の恐怖の一部は、このつながりの喪失から来ていると僕は思う。
それでも何もかもが失われたわけではない。お盆に帰省し、仏壇に手を合わせ、墓の前でぽつりと近況を報告する。うまく言葉にできなくても体は覚えている。
病院のベッドの上で、八歳の僕は怖かった。父の「ジエンド、ちゃんちゃん」も、母の「そのほうが気楽やん」も、それはそれでひとつの答えだったと思う。
でも祖母の話を聞いたとき、僕は確かにほっとした。あの安堵の正体がいまはわかる。祖母がくれたのは、死の説明ではなかった。死んでも、ひとりぼっちにはならない。先祖は遠くへ行かず、祀られ、清められ、いつか山の上から子孫を見守り続ける。そういう、あたたかい世界の側に、僕を置きなおしてくれたのだろう。
祖母の話の中身は、いまも思い出せない。それでもあの安堵だけは、何十年経っても消えていない。
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