記憶の四次元ポケット——やんちゃ坊主は大人になった自分を救う

やんちゃな子ども

僕の心の中にはポケットがある。

そこにはふだん忘れているイメージや感覚、感情や言葉などいろいろなものが入っていて、必要なときに必要なものが勝手に飛び出してくる。いわば記憶の四次元ポケットだ。

そのポケットに救われたと感じることが、大人になってから幾度となくあった。

ボロ舟探検隊の沈没

少年時代、僕は毎日のように外を駆け回り、悪さやいたずらをしては怒られていた。九歳の頃、ある秋の午後に幼なじみ四人と街の西を流れる大きな川に向かった。

土手に上がり河川敷に下りて、背丈以上あるススキをかき分け水辺に行った。そこで一艘の朽ちかけたボロ舟を見つけた。

「乗ろか」僕は言った。

もちろん反対するやつはいない。

「あそこまで行ってみよ」シュウが二十メートルほど先の中州を指さした。するとひとつ年下のマー坊が興奮して言った。

「島やん。無人島やん。川口浩探検隊みたいやん」

僕もだんだん楽しくなってきた。

「そや。俺ら探検隊や。見たことない生きもん発見したるで」

「どんな生きもん?」マー坊が聞いてくる。見たことのない生きものと言っているのだから、どんなもへったくれもない。鍵っ子だからか甘えたで、マー坊はいつもちょっと面倒くさい。

「うーん。そら、あれや。ガラパゴスアマガエルとかガンジスカワイモリとかそういうやつやな」

ない知恵を絞って僕が答えていると、学研の図鑑をぜんぶ持っているカズが横やりを入れてきた。

「ガラパゴス諸島の動物やから頭にガラパゴスってつくねん。ダーウィンの本に書いてあったわ」

「うるさい。ガンジス川に沈めたろか」と僕が小突いたら、「わお!」とカズは大げさに両手を上げて言った。

わははは、と皆で大笑いした。

舟底に水が溜まっていたが、僕らはおかまいなしだった。その辺で長い竹竿を拾ってきて、川の中ほどにある中州へと漕ぎ出した。

シュウが流れに棹さして、小舟をゆっくりと進めていく。ところが中州まであと少しというところで、舟底からぶくぶくと水があふれ出してきた。

狭い舟の中は一瞬でパニックに陥った。二人がかりで竹竿を懸命に動かし、あとの二人は必死で水をかいた。なんとか元いた場所の近くまで戻り、最後は舟から飛び降りて、腰くらいの深さの川の中を死にもの狂いで歩き、岸へ上がった。

振り返ると、舟は舳先だけを水面に出し、ほとんど水没していた。

「死ぬか思た」マー坊が青ざめた顔をしていた。

「死んでたまるか。そやけど、うんこ漏らすか思た」カズが言った。

「俺、ちょっとちびってもうた。川の水で濡れとるし、もう関係あらへんけどな」シュウが告白した。

全員、靴もズボンもびしょ濡れだった。川面を渡ってくる秋の風が濡れた体を冷たくなでていく。さっきまでの威勢の良さはもうどこにもない。皆、しょげ返っていた。

「なっさけない隊員ばっかりやな。川口隊長が見たらがっかりしはるで」僕は努めて明るい声を出した。「まあ、俺もちょっとだけちびったけどな」

それで皆、ようやく白い歯を見せてくれた。

すすきがささめいている。

そのとき土手の上に一台の真っ赤なスポーツカーが停まっているのが見えた。山口百恵に岡惚れしている体育教師の車に似ていた。

翌朝、月曜恒例の全校集会で、僕らは朝礼台の前に立たされていた。やはり体育教師は見ていたらしい。

全校生徒の前で、校長からこってりと絞られた。穴があったら入りたいとはまさにあのことだった。でもその日の帰り道、僕らは笑いながら家路についていた。なんともいえず誇らしい気分だったのだ。

武道場の爆竹爆弾

僕の実家の隣には中学校がある。僕の母校だ。広い敷地の中にいくつもの木立があり、小さい頃からよく忍び込んでセミを捕まえたりしていた。

中学校には武道場がある。コンクリートブロックでできた基礎の側面には、子どもがくぐり抜けられるほどの隙間がいくつかあった。僕らは時々その隙間から床下に潜り込み、空き缶に詰めた爆竹の時限爆弾を仕掛けて爆発させていた。

点火する。一目散に逃げる。木陰に隠れて待つ。

パンパン、パパパパパン!

あの音は、いま思い出しても鳥肌が立つ。爆竹が連続して爆ぜる大きな音があたりに響きわたる。床下の閉鎖空間でその音は繰り返し反響し、爆音となって武道場の床を震わせる。床の上で柔道や剣道の稽古をしている中学生たちが飛び上がって驚いていた。

僕らはそれを見て、腹を抱えて笑うのだ。

だが、やがて僕らの仕業だとバレてしまった。また全校集会だ。今度は親まで学校に呼び出され、大目玉を食らうことになった。校長室で叱責を受けているとき、あの体育教師がとりなしてくれた。いつか真っ赤なポルシェに乗れるといいと思った。

しばらくして中学校に行くと、武道場の床下の隙間がすべて塗りつぶされていた。僕らのせいでわざわざ工事をしたのだ。なんだか申し訳ないような、でもやっぱり誇らしい気分になったことはいまでも覚えている。

真鯉の繁殖力

その中学校の中庭には、わりと大きな池があった。橙色や白、まだら模様の鯉がたくさん泳いでいた。

ある日、僕は例のボロ舟の川で真鯉を釣った。真っ黒で立派な鯉である。一緒に釣りをしていたシュウのじいちゃんに刺身にしてもらおうという話になって、意気揚々と持っていったらこう言われた。

「真鯉は小骨の処理が大変や。やめとき。喉に刺さるで」

シュウは気落ちしていたが、僕はすぐ気を取り直し、中学校の池に放とうと持ちかけた。シュウも目を輝かせた。我ながらいいアイデアだとそのときは有頂天だった。

それから数年後、僕らは中学に入学して目を丸くした。

池の鯉が一匹残らず真っ黒になっていたのだ。以前、優雅に泳いでいたカラフルな錦鯉が一匹もいない。シュウを呼んで来ると、やっぱり目を皿のようにして池をのぞき込んでいた。

「な、いかついやろ? 真鯉の繁殖力」

僕がそう言うと、うんうんと何度もうなずいていた。

ちなみに最初に放流した真鯉は、あれから二回りは大きくなっていた。池の主のような顔をして、いちばん奥の深みにじっと横たわっている。そばに寄っていったら、なんとそいつは僕に向かってウインクしたのだった。

トンビの鳴き声と祖父の家

僕の実家は郊外のベッドタウンにある。自然はそれなりに豊かだが、いわゆる田舎ではない。大自然の中で遊ぶ楽しさを教えてくれたのは祖父の家だった。

その家は山間の僻地にあった。祖父が運転する車の助手席に座り、郊外から山道を抜けて、どんどん深山へと分け入っていく。空の高いところをトンビが飛び回り、ピーヒョロ、ピーヒョロと鳴く声が聞こえてきたら、祖父の家が近づいているサインだ。

野生動物がたくさん住む、実家とはまるで別の世界——。家の前を清冽な沢が流れていた。ウナギやアユが遡上し、対岸には鹿や猿、狸が水を飲みにやってきた。家に着いて僕がまず足を運ぶのも、決まってその川だった。

カワムツが群れで泳いでいるのが見える。釣りに川遊び、石集め、水切り。釣った魚は、祖母が甘辛い煮つけにしてくれた。祖母の手料理は質素だったけれど、どれも丁寧で真心のこもったものだった。

日が暮れると、あたり一面が真っ暗闇になった。星がよく見えた。月明かりがあんなに明るいと知ったのも、祖父の家だった。

そういう祖父の家や幼なじみたちと過ごした時間が、僕の心のポケットを少しずつ、でも確実に押し広げていった。それがのちの人生を支えてくれるということを、その頃の僕はまだ知らなかった。

偏屈上司のパワハラとムーミン

社会に出ると、誰しもそれまでとは環境ががらりと変わる。もちろんその後も順風満帆な人生を送る人も多いのだろう。ただ少なくとも僕はそうではなかった。泥船にも平気で乗り込むような子どもだったし、精神的に追い詰められたことが過去に何度かあった。

最後は体を壊したときだった。体はぼろぼろで、なにより苦痛がひどかった。毎日消えてなくなりたいと思っていた時期もある。その話は何度か書いているので、ここでは省略するが、代わりに社会に出ていちばん最初に灯った赤信号について書いておく。

新卒で入った商社でのことだ。僕は社内でも指折りの偏屈上司の下に配属された。それからというもの、四六時中、いまでいうパワハラを受けることになったのだ。

もっとも、その上司の言葉の暴力の対象は僕だけではなかった。世界を丸ごと呪い、見下しているような感じの人だったから、誰に対しても見境なく毒を振りまいていた。ただ僕の課は新設されたばかりで、上司と僕の二人しかいなかった。逃げ場がなかったのだ。

周りの先輩や上司が見かねて何度も「異動願いを出せ」というほどであったが、僕はその頃には心がへとへとでもう微笑むことくらいしかできなくなっていた。

真夏のある日、通勤電車のなかで突然、息ができなくなった。ドアにもたれかかるようにしてしゃがみ込むと、汗が滝のように流れ落ちてきた。もう限界だと思った。そのとき、ふとドアの窓の外を見上げたら、入道雲の上の真っ青な空をトンビが旋回していた。

ふいに祖父の家を思い出した。

ひんやりとした暗い土間、居並ぶはく製たち、縁側の湧き水の水槽、冷えたスイカ、山と沢、太陽と雲、月と星空——。息を深く吸いこみ、長い時間をかけてゆっくり吐いた。気持ちがらくになっていた。もうちょっとだけ頑張ろう。そのとき、子ども時代の僕がそっと背中をさすってくれたような気がした。

そのあとももちろんいろいろあったけれど、僕は一心不乱に働き続けた。一年後、上司が僕を認めてくれるようになっていた。いつも仏頂面で人づき合いを拒み、自慢話と悪口しか口にしなかった人が、その頃から少しずつ変わってきた。社内の飲み会に積極的に参加するようになり、次第にそれまでとは別人のように同僚や部下と軽口を言い合うようになっていった。

隣の部署の上長に「ようやった。お前が変えたんや」と言われたが、僕はそうは思わない。もともと悪い人ではなかったのだ。人との距離の取り方がうまくなかっただけなのだ。ただ、あまり急激に変わったせいか、今度は距離の詰め方を誤り、セクハラ事件を引き起こしていた。そのときは僕があいだに入ってとりなした。

会社を辞めるとき、その上司が餞別にムーミン柄のネクタイをくれた。締めたことは一度もない。ムーミン谷に営業に行くその日まで、大切にクローゼットにしまってある。

僕のポケット、娘のポケット

僕の心があの日あのとき折れてしまわなかったのは、子ども時代の記憶が詰め込まれたポケットのおかげだと思う。そこはいま、心の余白にもなっている。余白があれば、どんなに追い詰められても心が満杯になってしまうことはない。どこかにかならず息のできる場所が残っている。

娘が生まれてからは、できる範囲で山に海にと連れ出した。夏休みは多い年で十回以上、海へ行った。もちろん僕が好きだからつき合わせたのだ。それでも娘の心にポケットができていたらいいとは思う。

僕が祖父や幼なじみからもらったように、今度は僕が彼女のポケットに何かをこっそり忍ばせる番だったのだろう。

いつか彼女が遠い街で空を見上げたとき、その記憶が彼女の背中をそっとさすってくれることを願っている。