もう少しお金があれば、もっと幸せなのに——。そう思ったことのない人は、たぶんいない。僕も正直、ある。
ただ、不思議なことに、お金が少し増えても「これで十分」とはならないのである。少し増えると、もう少し欲しくなる。欲しかったものが手に入ると、次のものが欲しくなる。これは僕たちが欲張りだからなのか。それとも人間が、もともとそういうふうにできているのか。
この記事に書いていること
エピクロスの「隠れて生きよ」
紀元前四世紀のギリシャに、この問いを突き詰めた人がいる。エピクロスである。アテナイに「エピクロスの園」という学園を開いた人で、その門にはこう掲げられていたと伝えられる。よそ者よ、ようこそ。ここでは快楽こそ最高の善である——。
快楽が最高の善、と聞くと享楽的に響くけれど、彼の言う快楽は、ずいぶん地味なものだった。友人と語らうこと。簡素な食事をおいしいと感じること。余計な不安を抱えずに、穏やかでいること。それで十分だ、とエピクロスは言った。豪華な食事も、広い家も、地位も、追いかければかえって不安と疲労を生む。彼のモットーは「隠れて生きよ」。世間の競争から距離を置いて、小さな幸せの中に豊かさを見つける。二千三百年前のミニマリストである。
欲望には「底」がない
十九世紀ドイツのショーペンハウアーは、同じことを反対側から言った。欲望が満たされると、すぐに退屈か、新たな欲望が生まれる。人生は苦痛と退屈のあいだを、振り子のように揺れる——。
欲しいものが手に入った瞬間の喜びは、長続きしない。すぐに「当たり前」になって、また次が欲しくなる。お金も同じである。収入が上がれば暮らしの水準も上がり、支出も増えて、「もう少し」がまたやってくる。欲望には、底がないのだ。底のないものを満たし続けることで幸せになろうというのは、考えてみれば、ずいぶん疲れる戦略である。
仏陀も同じことを言っていた
そして仏陀は、ふたりよりさらに短く言った。苦しみは、執着から生まれる——。
お金への執着、地位への執着、評価への執着。執着があるから、手に入らないときに苦しみが生まれ、手に入れば、今度は失う恐怖が生まれる。仏陀の言う「執着を手放せ」は、お金を持つなという話ではない。お金に人生を振り回されるな、という話である。
ギリシャの哲学者と、ドイツの哲学者と、インドの王子が、時代も場所もちがい、知り合う術もないのに、同じところに着地している。人間がお金と欲望に振り回されやすい生き物だということは、二千年以上、変わっていないらしい。
「足るを知る」はあきらめではない
「お金より大切なものがある、なんて、お金のある人間のきれいごとだ」と言う人がいる。もっともな突っ込みである。ただ、面白いのは三人の経歴だ。エピクロスは裕福な暮らしを捨てて、質素を選んだ。ショーペンハウアーは商人の家の遺産で生涯食うに困らなかったが、その富が彼を上機嫌にした形跡は、まるでない。仏陀にいたっては、王子の身分を丸ごと捨てた。三人とも、持ったうえで、こちら側に来た人たちなのである。彼らが言いたかったのは「お金を持つな」ではなく、「幸せをぜんぶお金に預けるな」ということなのだ。
公平のために書き添えると、エピクロスは古代ギリシャの市民階級で、日々の労働から解放された身分だった。畑を耕しながら「隠れて生きよ」と言ったわけではない。そこは割り引いて聞く必要がある。それでも、彼が見抜いた欲望の仕組みまで割り引く必要は、ないと思う。
僕の話をすると、短期目標は、田舎に土地を買って、畑をやって、動物を飼って暮らすことである。これが実は、お金がかかる。ただ、動機は「豊かに暮らしたい」というより、「シンプルに暮らしたい」に近い。エピクロスが聞いたら、それでいい、と言ってくれる気がする。
お金は、必要である。現代社会はあらゆる場面で支払いを求めてくるし、自給自足の暮らしにだって税金はかかる。でも、「もっと欲しい」という感覚は、正直もうない。最低限あれば十分で、それ以上はいらない。一度お金持ちになってから言え、と突っ込まれそうだが、本心である。
今日の夕飯がおいしかった。子どもが笑った。好きな音楽を聴いた。そういう些細な日常の幸せを、しっかり受け取れる感受性を磨いておくこと。足るを知るとは、あきらめることではない。幸せを感じる能力を、育てることなのだ。
欲望の振り子は、止められない。けれど、揺れる振り子を眺めながら茶を一杯飲むことなら、今日からできる。
はやま
補足:エピクロスは古代ギリシアの市民階級で、労働から解放されていました。
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