僕ら人間の幸福感と深い関わりのあるホルモン、セロトニンのほとんどは腸内で作られている。脳が作るセロトニンにも、やっぱり腸が関係している。子どもがおいしそうに手料理を食べる姿を見て、思わずこちらまで微笑んでしまうとき、僕らの体内はセロトニンで満たされているのだ。
反対に腸内環境が乱れると心も乱れやすくなる。なんとなく落ち込んでいる、イライラしやすい——こんな日は腸を疑ってみるのもあながち見当ちがいではないのだ。
僕らはみんな、自分の思考は自分でコントロールしていると考えているが、実はそうではない。思考のほとんどは脳の管轄外にある。瞑想を長く続けてみるとわかる。最新の脳科学でもそれは確認されつつある。
以前、東京大学で脳科学の研究をされている先生に取材したことがある。海外での研究をいくつか引きながら、その先生はこんな話をしてくれた。
——自由意志というのは、本人の錯覚なのです。私たちの行動の大部分は環境や刺激、体の状態、それと普段の習慣によって決まっています。自分は自由だという感覚が当人に存在するのは事実ですが。面白いでしょ?
面白い、と思ったことは覚えている。それでも当時は、自分は自由に意思決定をしてきたと考えていた。
いまはちがう。瞑想やヨガを通じ、実感というか、確信のようなものが胸の一角を占拠している。
——僕らの行動は誕生から今日まで、環境が脳に書き込んだ無数のプログラムと、その日の気分、つまり体調によって決まってしまう。その体調の大部分は腸内環境に左右されている。
先生は「人間の体は脳の乗り物」だと言っていた。僕はもう一歩進んで「腸内細菌の乗り物」だと考えている。人間というロボットのコクピットに座っている操縦士なのだと。
人間に自由意志が存在しないというこの考え方は、東洋哲学の根底にある人間考察ともぴたりと一致している。
乳酸菌は数百種類
もし本当に腸内細菌が人間を操っているのだとしたら、どうだろう。彼らのことをもっと知りたいと思わないだろうか。少なくとも腸内細菌が、僕らの思考や気分に影響を与えているのは事実なのだ。
僕自身は、好奇心を強烈に刺激された。だから腸内に棲んでいる菌のことをとことん調べてみることにした。どんな性格で、どんな場所を好み、どんな働きをしているのか。
なお、乳酸菌とひとまとめに呼んでいるけれど、確認されているだけで数百種類もの仲間がいる。人間に日本人やフランス人やブラジル人がいるように、乳酸菌にもそれぞれ得意分野がある。
ここでは日本人の食卓に縁の深い菌たちを紹介していきたい。
① ラクティス菌——とろみの奥にいる職人肌
棲み家:カスピ海ヨーグルト、チーズ、漬け物など
カスピ海ヨーグルトの独特のとろみをつくっているのが、ラクティス菌の一種であるクレモリスFC株だ。この菌は、肌の水分保持や弾力に関わるという報告があり、年齢を重ねた人の体にも寄り添ってくれる。僕自身、一時期カスピ海ヨーグルトを自家培養していた。牛乳さえあれば永遠に増やせる。毎日どんぶり一杯近く食べていたこともある。
② カゼイ菌|免疫の裏方として働く堅実な菌
主な棲み家:チーズ、漬け物、ワイン、乳酸菌飲料
ヤクルトのシロタ株として知られるカゼイ菌は、免疫の働きを底から支える縁の下の力持ちだ。風邪の期間を短くしたり、腸の炎症を抑えたり、そんな報告がいくつもある。さらにストレス、アレルギー、虫歯の抑制といったことも研究されている。派手さはないが、台所に一人はいてほしいタイプの菌である。
③ ガセリ菌|体の輪郭をゆっくり整える
棲み家:母乳、ヨーグルトなど
ガセリ菌はもともと人間の腸や母乳に住んでいる。内臓脂肪の減少に関わるという研究があり、ダイエット乳酸菌と呼ばれることもある。ただ、痩せるかどうかよりも、腸の調子を整え、体の輪郭をゆっくり整えてくれる—— そのくらいの距離感でつきあうのがいい。
④ LGG乳酸菌|子どもを守る小さな盾
棲み家:一部のヨーグルト、サプリメントなど
LGGは、世界でもっとも研究されている乳酸菌のひとつだ。胃酸に強く、腸まで届きやすい。子どもの急性の下痢や胃腸炎を早く治す働きが期待されている。妊娠中の母親が摂ると生まれた子どものアトピーのリスクが下がるという報告もある。娘が小さかった頃、胃腸炎で苦しんだことがある。 あのとき「腸を整えることが、いちばんの備えだ」と痛感した。LGGは、そんな備えの象徴のような菌だ。
⑤ アシドフィルス菌|腸の空気を整える定番選手
棲み家:ヨーグルト、発酵乳など
アシドフィルス菌は、腸内を酸性に傾けて悪玉菌が増えにくい環境をつくる。昔からヨーグルトや乳酸菌飲料に使われてきた、いわば常連さんだ。下痢や便秘の改善、免疫の底上げ、IBSの改善など複数の報告がある。乳糖不耐症の人にとっては、 乳糖の消化を助けてくれる心強い味方でもある。
⑥ ビフィズス菌|大腸の主役
棲み家:ヨーグルト、母乳、赤ちゃんの腸内など
腸活を語るうえでビフィズス菌は欠かせない。大腸に住み、腸内フローラのバランスを保つ中心的な存在だ。赤ちゃんの腸にはとくに多く、母乳に含まれるオリゴ糖はこの菌のエサになる。年齢とともに減っていくため、大人こそ意識して補いたい菌である。なにしろ七十代以降は、腸内からほとんど姿を消してしまうのだ。
結局、何をどう摂ればいいの
ここまで読んで、 じゃあ全部の菌を摂らないといけないのかと不安になる必要はない。
答えはずっとシンプルだ。
——いろんな発酵食品を、毎日少しずつ。
日本の食卓にはもともと、 ぬか漬け、味噌汁、納豆、漬け物と、さまざまな菌が自然に並んでいた。 先人たちは理屈を知らなくても、 体が喜ぶ食べ方を知っていたのだと思う。
| 発酵食品 | おもな菌 | 取り入れ方のコツ |
|---|
| ぬか漬け | ラクティス菌、植物性乳酸菌、酵母、酪酸菌 | 自家製なら生きた菌が豊富。市販品は加熱処理済みも多いので要確認 |
| カスピ海ヨーグルト | クレモリスFC株(ラクティス菌) | 自家培養がコスパ最高。とろっとした独特の食感 |
| 普通のヨーグルト | アシドフィルス菌、ビフィズス菌など | 砂糖不使用のものを選ぶのがポイント |
| 納豆 | 納豆菌 | 毎日1パック。加熱せずそのまま食べるのが良い |
| みそ | 麹菌、酵母、植物性乳酸菌 | 加熱しすぎると菌が死ぬ。汁に溶くのは火を止めてから |
| ザワークラウト | 植物性乳酸菌 | 市販品より手作りがおすすめ。塩とキャベツだけでできる |
最近、母に我が家のぬか床を送った。ガンが見つかったと電話があったからだ。段ボールにはぬか床と本を詰め、「毎日かき混ぜて」と手紙を添えた。
しばらくして母から電話があった。「ありがとうな。お母さん、毎日食べとるで」
その声を聞いて、胸の奥がすっと軽くなった。
腸を整えることは、 体を整えることに直結している。 僕はそう信じている。
【参考文献】
■ ラクティス菌(Lactococcus lactis)
「Oral intake of heat-killed cells of Lactococcus lactis strain H61 promotes skin health in women」(Journal of Dairy Science 2014)Kimoto-Nira H, et al.
「Effects of ingesting milk fermented by Lactococcus lactis H61 on skin health in young women: a randomized double-blind study」(Journal of Dairy Science 2014)Kimoto-Nira H, et al.
「Anti-ageing effect of a lactococcal strain: analysis using senescence-accelerated mice」(British Journal of Nutrition 2007)Kimoto-Nira H, et al.
「Dietary intake of heat-killed Lactococcus lactis H61 delays age-related hearing loss in C57BL/6J mice」(Scientific Reports 2016)Kimoto-Nira H, et al.
「Immunomodulatory effect of Lactococcus lactis JCM5805 on human plasmacytoid dendritic cells」(Cellular Immunology 2014)Hosoya T, et al.
「Oral administration of milk fermented with Lactococcus lactis subsp. cremoris FC protects mice against influenza virus infection」(Letters in Applied Microbiology 2012)Kawase M, et al.
「Lactococcus lactis ssp. lactis inhibits the proliferation of SNU-1 human stomach cancer cells through induction of G0/G1 cell cycle arrest and apoptosis via p53 and p21 expression」(Journal of Dairy Science 2009)Seo KH, et al.
■ カゼイ菌(Lactobacillus casei)
「Immunomodulatory effects of a probiotic drink containing Lactobacillus casei Shirota in healthy older volunteers」(Journal of Nutritional Science 2012)Dong H, et al.
「Effects of Lactobacillus casei supplementation on disease activity and inflammatory cytokines in rheumatoid arthritis patients: a randomized double-blind clinical trial」(International Journal of Rheumatic Diseases 2014)Zamani B, et al.
「Lactobacillus casei downregulates commensals’ inflammatory signals in Crohn’s disease mucosa」(Journal of Crohn’s and Colitis 2009)Llopis M, et al.
「Lactobacillus casei HY7213 ameliorates cyclophosphamide-induced immunosuppression in mice by activating NK, cytotoxic T cells and macrophages」(Immunological Investigations 2013)Kim WG, et al.
■ ガセリ菌(Lactobacillus gasseri)
「Effect of Lactobacillus gasseri SBT2055 in fermented milk on abdominal adiposity in adults in a randomised controlled trial」(British Journal of Nutrition 2013)Kadooka Y, et al.
「Regulation of abdominal adiposity by probiotics (Lactobacillus gasseri SBT2055) in adults with obese tendencies in a randomized controlled trial」(European Journal of Clinical Nutrition 2010)Kadooka Y, et al.
「Effect of Lactobacillus gasseri BNR17 on Overweight and Obese Adults: A Randomized, Double-Blind Clinical Trial」(Journal of Clinical Biochemistry and Nutrition 2013)Kim J, et al.
「Lactobacillus gasseri SBT2055 inhibits adipose tissue inflammation and intestinal permeability in mice fed a high-fat diet」(Scientific Reports 2016)Tamaki N, et al.
■ ラムノサス菌・LGG(Lactobacillus rhamnosus)
「Lactobacillus rhamnosus GG: an updated review on health effects and clinical applications」(Current Pharmaceutical Design 2014)Doron S, Snydman DR.
「Lactobacillus rhamnosus GG in the primary prevention of eczema in children」(Journal of Allergy and Clinical Immunology 2014)Wickens K, et al.
「Lactobacillus rhamnosus GG: a viable option for treating acute gastroenteritis in children」(Expert Review of Anti-Infective Therapy 2013)Guandalini S.
「Lactobacillus rhamnosus (LGG) reduces antibiotic-associated diarrhea in children」(Pediatrics 2013)Szajewska H, et al.
■ アシドフィルス菌(Lactobacillus acidophilus)
「Lactobacillus acidophilus: a probiotic with extensive health benefits」(Beneficial Microbes 2014)Khalesi S, et al.
「Influence of Lactobacillus acidophilus on gut microbiota in healthy adults」(Beneficial Microbes 2014)Mater DD, et al.
「Effects of Lactobacillus acidophilus supplementation on metabolic parameters and bowel function in elderly subjects」(Nutrition 2013)Barreto FM, et al.
「Lactobacillus acidophilus influences the composition of the intestinal microbiome in rats」(Journal of Nutrition 2010)de Vries MC, et al.
■ ビフィズス菌(Bifidobacterium)
「The role of bifidobacteria in the immune system: gut microbiota and host health」(Immunology Letters 2010)Turroni F, et al.
「Bifidobacterium infantis in breast milk and the infant gut microbiome」(Journal of Pediatric Gastroenterology and Nutrition 2008)Gueimonde M, et al.
「Changes in bifidobacterial populations in feces of elderly subjects」(Anaerobe 2005)Woodmansey EJ, et al.