食育、という言葉を聞くと背筋が伸びる。職業柄、人さまに食の話を偉そうにしている人間である。さぞ立派な食育をなさっているんでしょうね、と思われがちだ。
白状する。我が家の食育は、敗北の歴史である。
かつての僕は、夕飯どきに講義をする父だった。納豆が出れば大豆の発酵や納豆菌のすごさを語り、味噌汁が出れば出汁のうま味や利尻と日高のちがいを語り、休日には添加物の話までした。
語り出すと家族の箸が目に見えて早くなる。一秒でも早く食事を終わらせたいのだ。娘の相槌は「はいはい」の二文字に固定され、スーパーで食品の裏面表示を読み上げれば、娘は三歩離れて歩いた。知らないおじさんの扱いである。
ある晩、妻から通告が出た。
「ご飯がまずくなるから、やめて」
正論だ。食育を語って飯をまずくしていたら、本末転倒どころの話ではない。
僕は黙った。黙って、作ることにした。毎朝の弁当。毎晩の一汁三菜。出汁を引き、味噌を溶く。講義は廃止され、台所の湯気だけが残った。
それから十数年が経ったある日のことだ。僕が熱を出して寝込んだ夕方、台所から出汁のいい匂いがしてきた。ふらふらと覗くと、娘が小鍋の前に立っていた。
出来上がった味噌汁を布団の中で一口すすって、僕は驚いた。出汁がちゃんときいている。
「どこで習ったの」
「習ってない。見てた」
そうか。食育というのは、教え込むものではなかったのだ。漏れるものだったのだ。毎日の台所の音、匂い、湯気。繰り返されるものだけが、いつのまにか子どもの体に入っていく。子どもは親の話を聞かない。だが親のすることは、恐ろしいほど見ている。十数年の講義より、十数年の湯気のほうがはるかに優秀な教師だった。
しみじみしていると、娘が続けた。
「あと、パパのうんちくはひとつも覚えてない」
講義十数年、効果ゼロ。台所、効果絶大。
僕は何か言いかけて、やめた。代わりに黙って空の椀を差し出した。おかわりである。
うんちくより雄弁な感想は、おかわりなのである。
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

