羊羹は、もともと湯気の立つ羊のスープだったという。はるか遠く、大陸から渡ってきた「温かいにおい」が、日本に届いたとき、僧たちはその姿を、小豆と小麦粉でそっと写しとった。
肉を避ける寺の台所で、似ているけれど、まったく違うものが生まれた。それが、いまわたしたちが知る羊羹の最初の姿だった。
和菓子の由来をたどると、かならず「元になった別の何か」がある。日本人は、目の前のものに、もうひとつの風景を重ねるのが昔から得意だった。
おはぎは萩の花で、最中は秋の月だった
おはぎの名前は、小豆の粒あんを萩の花に見立てたことに始まる。春に作れば「ぼたもち」。牡丹の花。秋に作れば「おはぎ」。萩の花。同じ食べ物が、季節によって名を変える。
最中は、平安時代の和歌にある「もなかの月」——秋の夜の満月を写した干菓子だった。その皮のなかにあんこが入るようになったのは、ずっとあとのこと。
大福のもとの名は「腹太餅」。腹持ちのよい餅という、素朴な名だった。それを江戸時代、小石川のおたまさんが小さく作り直し、縁起のよい「大福」の文字を当てたとき、ひとつの菓子の運命が変わった。
桜餅の葉は、江戸の長命寺の門番・新六が、掃除に困っていた桜の葉を塩漬けにしたのが始まりだという。暮らしの工夫が、いつのまにか文化になる。
どれも、ひとつのものを、そっと別の姿に見立てるところから始まっている。
はやま
千利休が、和菓子を芸術にした
鎌倉時代に伝わったお茶は、もともと汁物に近い「点心」とともに出されていた。それが室町から安土桃山にかけて、茶の湯が形を整えていくなかで変わっていった。
千利休は、和菓子を茶席に置いた。抹茶の苦みが舌に落ちる前に、ひと粒の甘さで、口のなかに静かな「余白」をつくる。その余白があるからこそ、あとからくる苦みが、まるで風のように立ちあがる。
和菓子は、主役ではなく、主役を引き立てる影となった。影があるから、光が際立つように。
控えめであることが、美徳になった。
ポルトガルが運んできた甘味
南蛮貿易の時代、カステラや金平糖が海を越えてやってきた。だが日本人は、それらをそのまま受け取らなかった。
模倣ではなく、吸収し、作り変えた。
カステラはいまや和菓子に分類される。日本の素材と気候に合わせて変化した結果、本家のポルトガルには存在しない「日本のカステラ」になった。
江戸の町に砂糖が広がると、大福が屋台にならび、みたらし団子が湯気を立て、祭りのたびにおはぎが丸められた。
甘味が、街の風景になっていった。
名前を聞くだけで、四季を感じる
上生菓子には、かならず「菓銘(かめい)」がある。
夜舟、木守、花びら餅、雪中花、初霞——。その名を口にするだけで、季節の気配が、そっと胸の奥で動きだす。
和菓子は、食べる前から旅が始まっている。耳と目と舌を同時に使う、世界でも稀有な文化だ。
羊のスープから始まった長い旅路が、 見立てと季節と余白の美意識に出会い、こんにちの和菓子を形づくっている。
その旅の気配が、 読んでくださった方のどこかに、 そっと残ってくれたらと思う。
- 和菓子には、時間が宿る——草餅と、下町に残る季節の気配
- 食べる前に、もう味がする——和菓子の名前のこと
- 羊羹は、羊肉の汁物だった。——和菓子という見立ての文化(この記事)
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