布団に入っても、頭の中が静かにならない夜がある。
今日の失敗、明日の段取り、いえなかった言葉、いいすぎた言葉——。誰に話しかけているわけでもないのに、頭のなかのおしゃべりが止まらない。目を閉じると、かえって言葉が増える気がする。
体はくたくたに疲れているのに、脳だけは覚醒していて、思考のボリュームが下がらない。
眠れない夜の、あの感覚である。
脳は「言葉」でいちばん疲れる
現代人の脳は、一日中、言葉を処理し続けている。
メール、SNS、ニュース、会話、字幕——。目に入るもの、耳に入るもの、ほとんどすべてに言語が絡んでいる。脳の言語処理野は、朝から晩まで休む暇がない。
だから夜になっても、脳はその「クセ」から抜け出せない。言葉を処理するモードのまま、ぐるぐると空回りし続ける。
このとき有効なのが、「言葉のない音」を意識的に使うことだ。
言葉は「言葉」では消えない
眠れないからといって、スマホでポッドキャストを聴いたり朗読を流したりするのは、あまりおすすめしない。
脳が言葉に疲れているときに、そこへ新しい言葉を重ねても、脳は満杯のままだ。言葉を「意味」として理解しようと脳が働いてしまい、結局スイッチはオフにならない。
頭のなかのうるさいおしゃべりを止めるために必要なのは、言葉を重ねることではなく、言葉を「洗い流す」ことだ。つまり、意味を持たない「音」に身を委ねる。
シガー・ロスが歌う、意味のない言葉
そんな夜、僕は部屋の明かりを極限まで落とし、スピーカーから「ある音楽」をそっと流す。
アイスランドのバンド、Sigur Rós(シガー・ロス)をご存知だろうか。
彼らの音楽には、ボーカルがある。しかしその歌詞の多くは「ホープランディック」と呼ばれる、意味を持たない架空の言語で歌われている。
言葉のようで、言葉ではない。
これが、脳にとって絶妙な作用をもたらす。声があることで音楽としての豊かさは保たれる。しかし意味が解読できないため、脳の言語処理野が「仕事」をしなくていい。音は入ってくるのに、言葉として処理されない——そのおかげで、頭のおしゃべりが静かに遠ざかってゆく。
同じアイスランド出身のÓlafur Arnalds(オーラヴル・アルナルズ)も、ピアノと電子音が溶け合う静謐な音楽をつくる。歌声が入ることもあるが、楽器の一部のようにたゆたっていて、言語として脳に引っかからない。
冷たい風の音のように、静かに打ち寄せる波の音のように、美しい旋律が空間を満たしていく。すると音の波が脳の疲れをやさしくほぐし、自分という存在が静かに地面に落ちていく、そんな感覚に包まれる。
はやま
眠りのための音楽、というジャンル
ドイツの作曲家Max Richter(マックス・リヒター)は、「Sleep」という8時間以上のアルバムをつくった。神経科学者と共同で設計された、文字通り「眠るための音楽」だ。
ゆったりとしたピアノ、弦楽器、ときおり差し込む女性の声——そのすべてが、覚醒を促さず、意識をゆっくりと深部へ連れて行くように設計されている。「聴く」というより「浸かる」という感覚に近い。
アイルランドのSnow Patrol(スノウ・パトロール)は、静謐なギターと歌声が心地いい。歌詞はあるが、音の輪郭がやわらかく、言葉が主張しすぎない。意味を追う気にならない夜には、ちょうどいい。
「ボーカル少なめ」が効く理由
完全なインストゥルメンタルが好みでなければ、「ボーカルが入っているが少なめ」という音楽がちょうどいい。
人の声には、脳が自然と反応する性質がある。ゼロだと物足りなく感じることもある。でも多すぎると、言語処理が始まってしまう。
シガー・ロスやオーラヴル・アルナルズが夜に心地よいのは、そういう理由もある。声があるのに、言葉として処理されない——。この絶妙な「あいまいさ」が、脳をやさしくゆるめてくれる。
言葉を手放す時間を、意識的につくる
僕たちは一日中、言葉の海を泳いでいる。
情報として、仕事として、人間関係として、言葉は必要不可欠だ。でも夜だけは、言葉から少し離れてもいい。
布団に入る前の30分、スマホを置いて、言葉のない音楽をかける。部屋を少し暗くして、ただその音に耳を傾ける。
頭のおしゃべりは、最初しばらく続く。それでいい。音に意識を向けているうちに、言葉は少しずつ、音のなかに溶けていく。
眠りは、追いかけると逃げる。でも、言葉を手放した脳のそばに、そっと近づいてくる。
はやま
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