深夜のカウンターに僕は借りがある——牛丼屋が支えてくれた時代

牛丼屋

僕は一義的には物書きだ。ただ食生活アドバイザーという肩書きも背負っていて、だから食と健康がテーマのエッセイなども書く。

ではチェーン店を手料理より下に見ているのかというと、それができない。

借りがあるからだ。

二十代の頃、僕は編集者だった。締め切り前は会社に泊まり、終電を逃すのが当たり前の生活だった。深夜、灯りのついている店は牛丼屋だけだった。暖簾をくぐる。暖簾はないが。

カウンターに男たちが等間隔に座っている。誰も喋らない。みんな疲れた顔で、黙々と丼に向かっている。会話はないのに、不思議と一人ではなかった。注文すれば、驚くべき速さで丼が出てくる。うまくて、早くて、安い。あの頃の僕の体は、かなりの割合であのカウンターでできていたと思う。

チェーン店の味は、どの街のどの店でも一字一句同じである。手作りの対極にある。一期一会のかけらもない。だが、終電を逃した人間に必要なのは驚きではなかった。まちがいのなさだったのだ。今夜も同じ味がする、という約束が、どれだけ人を支えるか。

それに、あの店は誰のことも覚えない。何百回通っても「いつもの」は永遠に発生しない。冷たいようだが、あの頃の僕にはそれが楽だった。名前も肩書きも締め切りも置いて、誰でもない者として黙って飯を食える場所。考えてみれば、二十四時間灯りをつけて、誰かの終電後を引き受け続けるというのはすごいことだ。

先日、何十年かぶりにその牛丼屋に入った。

味は同じだった。憎らしいほど同じだった。一口食べて瞬間、隣に二十代の僕が座った。疲れた顔で、黙って丼をかきこんでいる。教えてやりたかった。お前はこの先、体を壊して長い回り道をして、それでも毎日台所に立って家族の飯を作る父ちゃんになる。出汁を取って、味噌を溶いて、弁当まで作る。いまのお前は絶対に信じないだろうが。

そしてその父ちゃんは、お前に感謝している。あの頃、とにかく食って生き延びてくれたことに。

ごちそうさま、と小さく言って店を出た。あの頃は疲れ果てていて言えないことも多かった言葉だ。

でも注文のときの「つゆだく」という言葉だけは、するりと口を突いて出た。何十年ぶりでもよどみなく出たきた。体に染みついているのは、出汁の引き方だけではないのである。